1985年8月12日 日航ジャンボ機墜落事件 |
会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本の竹下登蔵相である。以後の世界経済に少なからず影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、この会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。
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2020年 08月 12日
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommyセンセです。 といいますが、今日は毒舌ではありません、事実です。 ワタシが教員生活三十数年の中で発見した一つの真理に「戦後史は、西暦で5の倍数の時に大事件が起きる」といのがあります。 終戦が1945年、日本の独立が1950年の朝鮮戦争勃発からの一連の出来事、1955年は自民党の結成・・・・・ この真理は、2020年にの今年、コロナウィルスで世界大パニック、五輪の中止、という一連の動きで図らずも証明されてしまいました。 その中でも、日本の戦後を変えたのが、 1985年のプラザ合意です。 こいのプラザ合意で、日本は対外資産の半分を失い(アメリカに差し出した)。のちのバブル景気までもを作り出した。 このプラザ合意は、1985年9月22日 <ウィッキより貼り付け> プラザ合意(プラザごうい、英: Plaza Accord)とは、1985年9月22日、先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議により発表された、為替レート安定化に関する合意の通称。その名は会議の会場となったアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のプラザホテルにちなむ。 会議に出席したのは、西ドイツ財務相のゲルハルト・シュトルテンベルク、フランス経済財政相のピエール・ベレゴヴォワ、アメリカ財務長官のジェイムズ・ベイカー、イギリス蔵相のナイジェル・ローソン、そして日本の竹下登蔵相である。以後の世界経済に少なからず影響を及ぼした歴史的な合意だったが、その内容は事前に各国の実務者間協議において決められており、この会議自体はわずか20分程で合意に至る形式的なものだった。 <貼り付け終わり> この日本にとって最悪の選択となったプラザ合意を、日本政府が喜んで合意したわけではない。脅されていたかららだ。 その“アメリカからの脅し・恫喝”の原因となったのが、 1985年8月12日に起きた、日航ジャンボ機墜落事件である。 植草先生が、今日もコラムに書かれている。(毎年だ) 日航ジャンボ機の墜落原因は、はっきりいえば自衛隊機の誤射である。そしてその事実を米軍は知っていてワザと隠していた。 これだけで、日本の戦後のつじつまが合うのだ。 自分が“戦う教師”を自称したけっかけは、この事件ある。 #
by tommyjhon
| 2020-08-12 05:41
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