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tommy先生の「世相を斬る」

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現役の高校教師が左遷覚悟の政治経済批評
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2014年 09月 30日

御嶽山の噴火は予知できた!!!!

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommy先生です。
このたびの御嶽山噴火では、多くの参拝者・登山者の方々が犠牲になられました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

「犠牲になられた」と書きましたが、何の犠牲でしょうか?「天災」ですか? ちなみに、御嶽山は7年前にも噴火しているれっきとした「活火山」です。むしろ「人災」の面も大きい、とかの武田邦彦教授も噛みついています。

これが、問題の画像。

e0041047_05043147.png
明らかに御嶽山は、9月の初旬から異常な傾向を見せていた。
ところが、これら火山性地震などの統括研究する所轄団体の気象庁と火山予知連絡会は、この異常を発表しなかった。
しかも、「予知できるわけがない」と居直りを決め込んでいる。

e0041047_05101944.jpg
そして、武田先生のブログ
http://takedanet.com/2014/09/post_1de5.html

題名に「予知連絡会会長は逮捕が普通」と書いたが、イタリアの地震で予知委員会が「地震は大丈夫」と言って、地震が来て逮捕され、有罪になった。それは当然なのだ。

人間には「言ったこと、判断したことに責任がある」というのが当然である。責任を取りたくなければ発言したり、決定しなければ良い。今回の件は9月初旬から御嶽山の地震計がたびたび反応していたこと(下図)と、東北大震災以来、20山ほどの山でマグマの活動が盛んになっていたことなどがあり、レベル1(注意せずに登山できる)をそのままにした責任は重い。

Bandicam_20140929_032629882

いつも日本では「専門家」というのが登場するし、東大教授やその他の国立大学の先生が国の委員になる。このブログに書いているように、「学者」は学問の自由があるから、自由な発言が許されるが、それは精神的、内的な自由で、社会に具体的な影響を持つ国の委員会などでの発言は、裁判官、医師などとともに言動に対して社会的な責任を持つ。

私たち学者は二つの顔を持ち、もし自由な学問をしたければ、国の委員などになってはいけないし、専門家として社会に発信するなら、その権限を持つことができるが、自由は制限され、責任も取る。

Bandicam_20130904_225203796

福島原発事故もそうだが、学者は責任がないが、国の委員長はヘマしたら責任があり、被害者がでたら逮捕される。医学者は安楽死を研究しても良いが、医師は社会の了解がなく安楽死を施したら逮捕される(日本でも有罪になっている)。

この際、打ち続く災害を止める意味でも、「権限と責任」をはっきりさせなければならない。火山予知連絡会の会長は昨日の記者会見で、「火山予知ってこんなものです」と言った。それならレベル1とか2とか決めてはいけない。自分が決められないことを決めて、犠牲になったほうが悪いというようなことでは自ら自主したらどうか。

事故が起こると専門家という人が出てきて、犠牲者の気持ちとは全く違い第三者のような顔をして話をする。日本の指導層も心をもってもらいたい。

(平成26年9月29日)

これは、明らかに武田先生の言説が正しい。御嶽山の噴火は事前に兆候があった!!!!!!!
また、武田先生ののブログに、オーストラリアの洪水に関する話が載っていた。
http://takedanet.com/2014/09/4_5686.html

ちょっとした雨を「自分が経験する」のは140年に一度、かなりの豪雨に見舞われるのが2000年に一度ということになりますから、それで起こる水害や土砂崩れに備えるのも少し慎重すぎるかも知れないのです。そんなことにお金を掛けるなら、交通事故死が年5000人、火災による犠牲者が年2000人ですから、そちらにお金をかけて減らしたほうが「効率」としてはかなり良いということです。

だから、治水に税金を使うにしても、それは大型河川のような集中的に工事ができるものは良いのですが、個人住宅などの対策をあまり過度にすることはできないことがわかります。まず大雨による浸水を防ぐにはどうしたらよいかということですが、まず外国の例を挙げてみましょう。

オーストラリアのブリスベーンというところはゴールドコーストという非常に美しい海岸があり、日本の大金持ちが正月などを過ごすところとして有名です。ブリスベーンには内陸から大きな川が流れていて、その川はかなり蛇行しているので、10年から20年に一度、氾濫して河口付近の市街地を水浸しします。

私が3年ほど前に行った時には、その大洪水のあと、1ヶ月ほど経ったところだったので、日本から行くときに「ブリスベーンはひどい被害を受けたからすこし時期をずらしたら」と言われたものです。

ところが実際に行ってみると市街地は一階の軒先まで水に浸かり、みんな2階に逃げたということですが、もうすっかり修理が終わって街は賑わっていました。確かに洪水の痕跡はありましたが、その様子は予想外でした。オーストラリアの人に聞いてみると、「10年から20年に一度来るのだから、その自然現象を認めて、洪水に備えている」ということなのです。

それも「川を護岸するとコンクリートになり、景観を損なうし、ヨットで海岸に遊びに出ることができないということで、護岸はしない。だから洪水は覚悟の上だ」というのです。

だから、まず川上に観測所を設けて氾濫しそうな時には、「何時頃から氾濫する」という警告をだす」というシステムです(私の行った年の氾濫は上流の人がサボって警報を出すのが遅かったと怒っていました)。警報がなると、一階のものは二階にあげ、人間も二階に避難して洪水を待ちます。実に「自然と溶け込んだ対策」です。

洪水が引くと土建屋さんが総動員されて、かねて各家でかけていた洪水保険で修理をするというのです。いや、その立派な対策と社会的なコンセンサスに驚いたものです。

「川の氾濫を自然現象として捉えるか、それを人間が押さえ込むか」という点では、日本人のもともとの考え方は「自然現象としてそれも受け入れる」ということであり、むしろオーストラリア人(アングロサクソン)は「自然を押さえ込む」というのですが、それが逆転しています。

もう一つの例はベトナムのメコン川です。サイゴンからすこし南に行ったところに世界でも有数の大河、メコン川のデルタ地帯があります。この地域は毎年、じわっと水位が上がって、氾濫し、畑もなにもかも見えなくなります。そしてしばらくすると水が引いて、上流から運ばれた肥沃な土で田畑は覆われ、連作で起こりがちな作物の病害虫なども一掃されます。

だから、農民は毎年の洪水でも平気なようにやや高い床を持つ家を建て、田畑が沈んだら自然の現象として受け入れ、しばらく生活を変えるのです。

ベトナムの農村は本当に豊かです。少しの雨では川は氾濫しません。それは一年に一回、氾濫した時の土が畑に乗るので川より畑の標高が高いからです。これは次回以後に整理しますが、日本のように人工的な護岸をして川の方が高いというような馬鹿らしい状態ではないということです。

それでもベトナム人は都会で工場やサラリーマンとして生活するより農村の方が魅力的で、工場の悩みはせっかく18歳ぐらいから30歳ぐらいまで働いて、熟練した頃に農村に帰ってしまう人が多いことです。

つまり洪水というのはそれほど悪いことではなく、それを「悪い」と決めつけて自然を押さえ込もうとしていう私たちになにか問題があるのではないかと思います。

(平成26年9月24日)

そうですよね、全く。





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▲ by tommyjhon | 2014-09-30 05:17 | 現代社会の授業 | Comments(0)
2014年 09月 28日

清水東高校OBの皆さんにお願い

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。
Tommy先生です。

今日は、公共の場であるブログメディアを私物化し、某S水東高校進路部の企画ものの登校願いを貼り付けます。
http://www.wbs.ne.jp/cmt/kiyokou/shinro/saishindaigakujohogenkousakuseiirai2014.htm

フェイスブックでもお願いしましたが、投稿期限が過ぎました。まだの人・忘れている人は大至急お願いします。
後輩達のためです。

m(_ _)m

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▲ by tommyjhon | 2014-09-28 05:40 | 現代社会の授業 | Comments(0)
2014年 09月 27日

九州電力の情けない発表

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommy先生です。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014092590135715.html

あとで、記事をはりつけます。あとで記事を貼り付けますから読んで下さい。

「九州電力が、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度に基づく契約の受け入れを、九州全域で中断した。
対象は新規受け入れに加え、申請を済ませたが契約に至っていない約七万件も含める。十キロワット未満で自家消費している家庭用の太陽光などは対象外とした。」という記事です。

この固定価格買い取り制度は、「再生可能エネルギー」を普及させる最善の方法でしょう今や、原発の代わりとして一番見込まれているのだが、この固定価格買い取り制度は国に方針として導入されているのに、断ることが出来るとはどういうことなのだ。
ちなみに、法律は、
電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法(でんきじぎょうしゃによるさいせいかのうエネルギーでんきのちょうたつにかんするとくべつそちほう、平成23年8月30日法律第108号)
というものだ、この新聞記事では、「川内原発の再稼働に投資するくらいなら、送電設備に投資しろ」という意見を載せているがもっともである。

そして、政府はこの法律を見直すらしいのである。
どこまでも電力会社には甘い政府なんだろう。

しかも、この記事は「東京新聞」の記事であることも覚えておこう。今、信用失墜したマスメディア(朝日だけではない、政府のヨイショしかやらない読売も産経も同じ)の中で、唯一まともな報道姿勢を貫いている。

そして、「文理選択」の連載で、こそこそと読み始めた現役高校生に耳より情報として教えておくけれど、
2011.3.11の悲劇から、センター試験の「現代社会」&「政治経済」は、日本の資源エネルギー問題を意図的に避けてきた。原発に関する問題を作成できなくなったのである。そうれはそうだろう。
しかしながら、次回センターは2015年、そろそろ復活させたいところだ。
その最大の「ヤマ」がこの固定価格買い取り制度である。 この記事を題材にして覚えておいた方がいい。

<貼り付け始め>
 九州電力は二十五日、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度に基づく契約の受け入れを、九州全域で中断した。対象は新規受け入れに加え、申請を済ませたが契約に至っていない約七万件も含める。十キロワット未満で自家消費している家庭用の太陽光などは対象外とした。

 九電によると、電力の安定供給には需要とのバランスを保つ必要があるが、太陽光発電の急増で供給力が需要を大幅に上回ると、自動的に発電が停止するなど支障が出る恐れがあるという。今後他の電力管内への送電などを検討し、再生エネをどの程度受け入れられるか見極めるとしている。

 太陽光発電は全国的に増えており、北海道電力や沖縄電力も購入に上限を設けている。今回の九電の中断を受け、政府は買い取り制度の見直しを加速させる可能性が出てきた。

 二十四日の記者会見で九電の山崎尚(たかし)電力輸送本部長は「電力を安定供給する責任があり、このまま無制限に受け入れられない。ご理解いただきたい」と述べた。申請中の事業者が計画見直しを迫られることが想定されるが、金銭面の補償はしないとしている。川内(せんだい)原発(鹿児島県)の再稼働と中断は「関連性はない」と強調した。九電は十月一日から七県で順次説明会を開く。

 九電によると、二〇一四年度から買い取り価格が下がったため、今年三月だけで過去一年分に当たる約七万件の申し込みが殺到した。

 買い取り制度では国の認定も必要で、九州の太陽光・風力発電の認定状況は五月末で千七百八十七万キロワット。鹿児島が四百三十四万キロワットと最も多く、次いで熊本、宮崎、大分と、この四県で九州全体の四分の三を占めている。

◆「川内原発より送電網を」

 再生可能エネルギーを使う発電事業や計画は九州各地で進んでおり、九州電力が買い取り契約の受け入れを中断した影響が広がりそうだ。買い取りを前提に多額の投資をしてきた企業や、導入促進を掲げる自治体もあり、関係者は「今更買い取れないなんて」と困惑している。

 長崎県佐世保市の宇久島では、京セラ(京都市)や九電工(福岡市)など五社が世界最大規模となる四十三万キロワットの大規模太陽光発電所(メガソーラー)建設を検討。二〇一五年度中の着工が目標で、受け入れの中断が長引けば影響を受ける可能性がある。

 京セラは今後開かれる九電説明会に出席する予定で、広報担当者は「情報収集を急ぎたい」と話す。

 四千キロワットのメガソーラー建設を目指している鹿児島市の男性(50)は会社を設立しことし三月、九電に新規契約を申請した。既に土地代などに約一億円を投資。男性は、再稼働へ手続きが進む川内原発を引き合いに「原発への投資ではなく、送電網に投資するべきだ。多くの企業が反発するだろう」と語気を強めた。

 二〇年度までに県内全家庭の電力消費量相当分を省エネで減らした上ですべてを再生可能エネルギーで賄う目標を立てているのが熊本県。県によると、着工していないメガソーラー計画が六件残ったままだ。村井浩一エネルギー政策課長は「全体の目標に大きな変更はない」とする一方で「県として再生エネ導入の旗振り役を担ってきたが、電力需給のバランスまで考えが及ばなかった」と肩を落とした。

<再生可能エネルギー> 太陽光や風力、水力などで生まれるエネルギーを指す。石油などを燃やす火力発電、ウランを燃料とする原発と異なり、資源が枯渇せず繰り返し使えるのが特徴。地球温暖化の原因になる二酸化炭素(CO2))の排出量も極めて少ない。ただ、政府によると、発電コストは火力や原子力より高い。政府は2012年、電力会社が再生エネによる電気を買い取る制度を義務化、普及を後押ししている。

(東京新聞)



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▲ by tommyjhon | 2014-09-27 06:42 | 現代社会の授業 | Comments(0)
2014年 09月 26日

文理選択4 公民

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommy先生です。

 こんな連作はずいぶんやっていませんでした。おそらく、2001.9.11以来でしょう。同じテーマで4回目です。
ここからは、文理選択といっても文系に限ります。
しかも、国公立大学向けです。

 このような話題になると、保護者の方から「国立偏重の進路指導」とお叱りをうけることがあります。しかし、私立大学は、「科目数が少ない」という受験生に媚びた制度を続け、それで受験生を集めているかぎり決して尊敬されません。高校では、マルチに教科を勉強するのです。そのマルチな勉強を評価することが国立大学に繋がることになります。あくまでも、大学のヒエラルキーは「受験科目の多さ」で決まるのです。また、国公立大学受験は、センター試験→自己採点→データ分析→前期・後期出願となるので、持ち点によって受験校変えることができます。なので、「狙い通りの合格」をゲットすることは案外たやすいのです。個人的な事情をある程度無視して“それなりの国公立大学への合格”だけを目指すなら、80%の確率で合格できます。ただし、国公立大学の最大の欠点は「立地条件」。首都圏に目が向いている生徒はやはり多い。
 
 さて、これからは文系2年生の科目選択に関わることです。某S水東高校のパターンで考えますが、全国どこの進学校でもほぼ同じようにパターン化されているはずです。
センター試験は5教科7科目です。そして個別試験(通称二次試験)が待ってますので、高校の勉強は英・数・国が基本です。文系の生徒ですから、英語で80%(160点)の得点は普通にゲット出来ます。
 国語は、センター試験の魔物でありまして、時々びっくりするような現代文の出題があります。この頃の現代文(評論・小説)は量も多く、脚注もやたら多く、しかも1問7点などというあきれた問題もありますので、文系生徒といえども、「現代文」で確実な点数をとるのは難しい。その代わり、「古典」(古文50点・漢文50点)は、古典文法や漢文読解をしっかり出来れば、確実に高得点が期待できます。これは、理系生徒にもあてはまることで、理系の生徒がいちばんしっかりやらねばならないのが「漢文」です。これは点数が稼げます。というものの、文系の生徒であるならば、国語で150点程度をゲットするのはできる。
 では、最大の難関が数学です。数学は「数ⅠA」と「数ⅡB」がそれぞれ100点満点でして、これで160点とるのがかなり難しい。センター試験の目標を、“旧帝大合格ライン”の720点(つまり80%)とすると、文系生徒にとって、この数学で160点が一番の難関です。しかも、旧帝大や千葉大、横国などの難関国立大は二次試験に数学が課されます。文系で数学が出来ること。これが国公立大学合格の重大な要素です。
 そして、残りが理科1科目、地歴公民2科目の300点です。今年から、理科は「基礎科目50点×2」つまり「キソキソ」になりましたから、ここ数年間は、オーソドックスな出題傾向となるはずですので、これも普通に勉強していれば80%の得点率は計算できるでしょう。

 さて、問題の地歴公民。 
東大を目指す人は、二次試験で「世界史」&「日本史・もしくは地理」が必要ですから、どうしてもセンター試験も「世界史」&「日本史」の2科目になります。実は、日本全国どこの大学でもこの2科目受験で大丈夫です。だから、東大を含めた旧帝大以上を目指す生徒を“二科目組”とカテゴライズして、どの学校でも厚遇します(個別添削指導などをやります)。
それ以外の生徒は、「世界史」or「日本史」で好きな方を1科目選んで3年を迎えます。「世界史」や「日本史」は2年で約35%くらいしか進みません。3年で2倍の早さでどんどん進みます。特に夏休みを過ぎると「近代史」になってきますので、ぼっとしていると国がごちゃごちゃ、年代がごちゃごちゃ、政治も経済もごちゃごちゃ、戦争もバンバンの学習になりますから、到底手を抜くことはできません。でも、センター試験的には、文系生徒は、地歴で85%の得点は絶対必要です。そして、地歴1科目の生徒が、もう100点分を稼ぐのが「公民」です。
公民は、「現代社会」「倫理・政経」「政経」「倫理」 と4科目ありますので、どれを選択しても自由です。ただし、旧帝大と難関国立大は、「倫理・政経」の指定(通称倫政シバリ)がありますので、絶対これを選びます。「現代社会」は1年次に共通して勉強していますが、おそらくどこの学校でも最後まで勉強が終わっていません。そして、「現代社会」は約8割が「政治・経済」と同じ範囲ですので、「現代社会」と「政治経済」はほぼ同じ勉強で大丈夫です。現代社会の方が、「グラフ読み」などの誰でも出来る問題が多い分、お得です。
ところが、この現代社会でも政治経済でも、国際経済&国際金融という、どの公民の先生も“本当のところは知らない”分野が出題されます。本当のことを理解できていない先生に教わる生徒も不幸ですが、国際経済や国際金融の本当のところを知っている人間は、財務省や日銀のごく一部や、三菱と野村総研のごく一部にしかいません。したがって、「現代社会」や「政治経済」は、ニュースを見たり読んだりしていれば簡単というわではありません。まあそれでも、「世界史」や「日本史」の1/5の勉強量で目標の80点に届きます。
しかし、政治経済的な分野がどうしても苦手な生徒っています。
そこでお助けが「倫理」!!!!
この「倫理」に関して4年ほど教えてきましたが、100満点の80点をとるにあたって一番勉強量が少なくてOKなのが倫理でしょう。たぶん同じ80点をとるにあたって、「世界史」「日本史」の1/10!!!!!!
ワタシは、某S水東で、毎週朝40分を週1回、土曜講座60分を4回くらい、放課後の補講60分を4回くらいで、全部の倫理分野の授業を終えてしまいます。もちろん、「哲学」とかの原書講読など絶対やりません。「話し合い」などの形式での授業も絶対やりません。ひたすら、「センター試験で80点」を目標とした授業をやります。すると1学期だけで終わってしまうのです。絶対重要人物(要するに倫理では、人物の考え方を覚えればよい)は50人ほどです。日本史の用語集が12000語収録されているのと大きな大きな差があります。
真面目に取り組めば、絶対に「地歴」の1/10の学習量で絶対に80以上はゲットできます。今やTommy先生の超お勧め科目なのよ。ただし、旧帝大以上は「倫・政シバリ」なので、50点分しか出題されません。また、一部の教育学部では、「倫理・政経」もしくは「現代社会」をはじめから指定しているところもあるので、ご注意を!!!!!!

最後にコマーシャル、「政治経済」「現代社会」の追い込み、そして大学生の教養として最適な「カタカナ語辞典」&「略語辞典」は今年も作ります。(12月10日発行予定、今年の表紙は、『軍師Tomi兵衛』
そして、倫理の参考書もあります。
それが、『RINXILE』(リンザイル)・・・・・Tommy先生を新たに加えたボーカル&ダンスユニット

もし、今からでも倫理をセンターで使いたいと思った高校生諸君、S水東高にきなさい。あげるから。

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▲ by tommyjhon | 2014-09-26 06:19 | 現代社会の授業 | Comments(0)
2014年 09月 25日

文理選択3 公民の選択について

 全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。Tommy先生です。

ということで、連作「文理選択」の最終編 ワタシが教える公民分野です。
とその前に、今や数Cは数Ⅲに吸収されているというご指摘を頂きました。やばっ学年主任からのプリントでも残してしまった。

 そもそも、大学入試センター試験は、昔、共通一次試験といわれていたものです。この共通一次試験からいままで、
5教科8科目 1000点満点時代・・・・・ワタシが学生の頃はこれでした。
<この当時は、数学Ⅰのみで200点満点、したがって5教科7科目であるという指摘あり。ありがとうございました、ぐりしん殿>

5教科5科目 800点満点時代・・・・・ワタシの教員前半期
5教科7科目 900点満点時代・・・・2004年から現在(途中でリスニングが導入され英語は250点満点になっったが、今でも200点換算で計算される) 
と分かれます。
受験戦争などと揶揄され、「勉強のやらせすぎ」が話題になると科目数が減り、「子供の学力低下」が話題になると科目数が増えるのです。
「公民」にとってこの世の春は、5教科5科目時代でした。地歴公民科として、多くの学校で「現代社会」が必修となったものの、センター試験には関係ないので、公民科の授業は先生方の好き放題に展開していました。ワタシも、「保健」や「家庭科」お同じ程度に軽い教科であると豪語していました。長泉高校(今はもうない)や某F高の初期は、政治経済を“英語”で学ぶことに情熱を注いでいました。当時、英語の入試には時事問題を扱ったものが急増したのが一つの理由、また、政治経済用語は英語で勉強した方が、“しっくりくる”からのがもう一つの理由です。今でも、日本国憲法は英訳の方が理解しやすいと確信しています(だって、そもそも英語のネイティヴスピーカーが作成したものですから)。

ところが、2004年からセンター試験の5教科7科目が実施され、「公民」分野が文系の必修科目となりました。センター試験の満点も900点となったのです。
ちなみに、900点満点に移行したのにともない、大学合格の目安は、九九の九の段となっています。
900(満点)×90%(得点率)=810(合計点)は東大京大医学部レベル
900×80%=720は、旧帝大レベル
900×70%=630は、普通の地方国立大学レベル
900×60%=540は、国公立大学の最低ライン
です。

 したがって、2004(平成16)年度から、ワタシは「センター試験で点数をとらせる教師」に人間を変えざるをえなくなったのです。そして、「現代社会」を教えるプロ教師のモットーを「最小勉強時間数の最大点数」に定めました。ポイントのポイントは、「最小時間数」です。教科「公民」は、二次試験でほとんど使われません(二次試験で公民科目を設定しているのは、律儀な一橋大学などごく一部)ので、センター試験の100点だけが勝負です。しかも、センター試験はマークシート方式であって、正解は問題冊子の中に入っているのです。正確な知識など必要在りません、○っぽいとか×っぽいで正解できます。だから、「最小時間数」なのです。もし、「現代社会」が大好きで、もっとどんどん勉強したい!!!!なんていう生徒が出てきたら、他の先生は褒めるでしょうがワタシは怒ります。
 とはいうものの、タダ単に丸暗記をさせているわけではありません。この世の中は、「原理的」なものが判ると派生的に多くの現象が理解できます。例えば、「リカードの比較生産費説」とか、「アダムスミスの自由競争原理」とか、「マルクス主義」とか、「マネタリズム経済」とか、「プライマリーバランス」とか、「憲法99条」とか、「国富」とか、「プラザ合意」とかを確実に原理から理解すると案外初めて見た文章でも正誤が判ってしまうのです。
 また、生徒にとって現代社会で点数を落とす分野は、「国際経済」ですので、この分野は「ウン国際経済」と名付けて日本一わかりく教えているつもりです。

 というように、2004年からの「公民センター必修化」に対応してきましたが、またもや大きな変化の渦に巻き込まれてしまいます。それは、2012年度入試からの、地歴公民2科目化です。(それまでは、地歴1科目、公民1科目でした)。
文系の国公立大学ヒエラルキー(階層)、つまり序列は、2次試験科目の量で決まります。
東大(5科目)→京大・一橋大(4科目)→旧帝大(3科目)・・・・以下3科目を課す大学は一流とされる。ちなみに、地元静岡大学は、人文学部が2科目(英国数から2科目)、教育学部に至っては1科目(英国数から選択)である。
なので、大学の関係者達は、どうしても東大に近づけるべく、センター試験で、「世界史」&「日本史」を認めさせました。東大はこの2科目を二次試験科目でも課しています。
ところが、文系生徒のかなりトップ層でも、「世界史」&「日本史」をさきほどの目安(得点率85%程度)に仕上げるのは凄い大変です。生徒だけではなく、公立高校では、「カリキュラム(授業時間数のこと)」までもがパンクしてしまいます。そこで、代替科目として、「倫理・政経」が復活したのです。これが、2012年度入試から導入されました。
 つまり、地歴2科目の代わりに、「地歴1科目、公民1科目でもよいが、公民は倫理・政経に限る」という制度、通称「倫・政しばり」が旧帝大をはじめとする“一流国公立大学を自負する大学”で実施されました。したがって、ここから文系生徒のトップクラスは、大多数が、「世界史」or「日本史」と「倫理・政経」でセンター試験を受験しなくてはならなくなったのです。ということは、ワタシも「倫理」(内容は、宗教・西洋哲学・東洋思想のほぼ3分野)を教えなくてはならなくなったのです。(これが、某F高の最晩年にあたる)しかも、「最小時間数」で!!!!!!!

 しかもしかも、この「倫・政しばり」が実際に必要な生徒は県内の超進学校といえども、それほど多くはいません。クラスの半分が、「倫・政しばり」の大学を受験する高校は、超×5くらいの学校です。だから、県内の進学校は、この変化への対応で2つに分かれました。当時ワタシが在籍していた某F高のように、「倫理・政経」を授業で必修にしてしまうところと、「政経もしくは現代社会」を残して、「倫理」の学習を放課後や朝の補修で補うところです。某S水東高校では、後者を選択ました。したがって、ワタシは、3年生の4月から、「朝一」で「倫理」を教え続けています。
この2012年センター試験の科目変更が「文転」を阻止しているのです。http://tommyjhon.exblog.jp/22402367

 これが、センター試験対応で揺れ続けた「公民」なのです。ワタシは3年ほど前には「倫理」を教えるべく「思想史」や「哲学」などの本ばかり読んでいました。
そして、「公民科」で起きてしまう、重大な問題が、“公民の先生は各校に一人しかいない。”ことです。普通の8クラス程度の学校では、国語9人、英語9人、数学9人、理科9人(物理3、化学3、生物3)で構成され、地歴公民(社会科)は、7人(世界史2、日本史2、地理2、公民1)が普通です。これは、セカンドオピニオン(センター現社の必修語)的には大問題なのですが、現実はこれ以上公民科の教員を増やせません。
 ワタシは、放課後に「特脂」という名の補講をやっていますが、視聴覚教室が満杯なのですよ、いつも!!!!!! 80人から100人を前にして授業をするという状況が、もう10年以上も続いています。
少しはリスペクトしてネ。

 次回は、「倫理はオイしい」というテーマで掘り下げます。

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▲ by tommyjhon | 2014-09-25 06:10 | 現代社会の授業 | Comments(2)
2014年 09月 24日

思わず購入

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。

連載「文理選択3 公民という教科」は次回にします。

そして、思わずアマゾンで買ってしまった本が2冊 
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ううううん どうも地味過ぎる装丁。作者も聞いたことがない。どうなんだろう?

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これは、ご存じ副島先生の本、 
http://www.snsi.jp/tops/kouhou
ブログには
「この本は、30年前に『道具としての英語 しくみ編』として書き下ろしたベストセラーに大幅加筆修正を加えた復刊です。2006年にも『BeとHaveから分かる英語のしくみ』として改題復刊されたことがある本です。」
両方とも買って読んだ記憶があるのだか、今手元になく、きっと誰かにあげちゃったのだろう。
これも、前途有望な高校生に強奪されそう。

 ということで、「文系」らしく書籍から学ぼう!!!!!



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▲ by tommyjhon | 2014-09-24 06:06 | 現代社会の授業 | Comments(0)
2014年 09月 23日

文理選択2

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommy先生です。

休日の朝 余裕がかるので、前回の文理選択話の続き。

さて、文理の選択で、「理系に行こう」「文系に行こう」が決まると、次は科目選択です。

英語=授業時間数も内容もほとんど変わりません。

国語=内容は変わりませんが、理系では授業数が激減します。ただし、理系の大学において「国語」を受験科目にしている大学こそ理系のトップクラスの大学です。理系では、3年生のセンター試験までで、国語の勉強はほぼ終わります。

数学=文系は、数学Ⅱ、数学Bまでで勉強し、超難解な数学Ⅲ・数学Cという発展型を勉強しません。典型的な「文系脳」からすると数Ⅲや数Cは「魔法」です。たかだか、3行しかない問題文の出題で、解答時間が30分もかかるなど、耐えられません。逆に、典型的な文系脳は、30分間かけて、3ページくらいの問題文を読み、5分くらいで解答することが多いですね。

と、ここまでは範囲こそちがうものの共通して、学ぶ科目です。
 では、理科 
これが今年から大きく変動しました。文系生にとって理科は、センター試験のみの受験ですので、センター試験が大幅に偏向されれば、勉強する範囲も大きく変わるわけで、文系の理科に関していえば高校をどの世代に卒業したかによって、何を勉強したが大きく違うのです。
 我々50歳以上の面々は、「生物」「化学」「物理」の中から文系でも2科目勉強したはずです。共通一次とか、それ以前の国立大学入試で2科目必要だったかです。ワタシも共通一次で、「物理」と「生物」を受験しました。
 現年齢45歳~19歳の人は、ほとんどが「生物1科目」だけしか真面目に勉強していないと思います。センター試験では文系理科1科目が必修だったからです。ただし、生物といえども、内容はその時々で大きく違います。生物は、世代世代によって「取り扱う分野」がかなり変化しているらしいです。ワタシは、生物といえば、「ポリプ→エフィラ→ストロビラ」という言葉を一番覚えているのですが、今の高校生は勉強しないそうです。
 ところが、今年度のセンター試験から、50点満点の基礎科目を2科目受験して100満点にするという形に大変動します。
業界では「キソキソ」と言いますが、「生物」「化学」「物理」「地学」の基礎科目を2科目自由選択して受験します。理科は他分野を誰もが勉強すべきだという信念が教育課程を変え、センター試験を変えたのでしょう。勉強における「そもそも論」を棚に上げて、文系のセンター試験に関する傾向だけを考えると、今年初の「キソキソ科目」はおそろしく簡単になるはずです。おそらく、2科目の平均点は80点を超えます。センター試験は新課程は最初が一番易しいという法則が存在します。そして、年が経つほどにどんどん難化してきます。キソキソ科目は、難しい問題を作るのはたやすい科目なので、センター試験作成者は、「平均点を65点前後にせよ」という指令のもとにどんどん難しくしいき、文系生が、「理科のキソキソは勉強が大変」と音を上げるまで続くでしょう。

 理系の生徒は、以前変わらず、理科は2科目です。15年くらい前に理科3科目かの動きがあったのですが。高校の授業数が足らずに霧消してしまいました。普通は、「化学」と「物理」をとります。一部の生徒は「物理」の代わりに「生物」を選択しますが、理系の学生で「生物」を選択する生徒は10%程度です。生物を選択すると「工学部」を受験することはできません。また、大学の教授陣も、高校時代は「生物」よりも、「化学」と「物理」をしっかり学習してきて欲しいと言っています。だから、理系生物選択者という集団は、「理系なのに物理をしらない不思議な人たち」となります。・・・・主に看護系、水産系、農学系の志望しかあり得ないのです。ワタシは文系ですからこの理系の構図に詳しくないですが、高校関係者として、今後は生物の先生が不要になりそうだということは危惧しています。現在、多くの進学校は、「物理3人
」「化学3人」「生物3人」で構成されていますが、この教育課程だと明らかに「生物」が余ります。学校全体だと2人でも十分のような感じですので、生物の先生は、余った分が進学校をはじき出され、センター試験などあまり関係のない職場にまわされるでしょう。

 最後に専門の地歴公民(昔の社会)
まず最初に、今の教育課程には、2単位もの(世界史Aとか日本史Aとか、地理Aとか、と公民の「政経」「倫理」「現「現代社会」)と4単位もの、(世界史B・日本史B・地理B・そして、「倫理・政経」)が存在します。一般にA科目とは、教養的な科目でB科目が専門的科目です。
 センター試験には立派にA科目が科目として存在しますが、普通の一般進学校ではA科目をセンター試験で受験することはありません。文系では、A科目受験を認めない大学が国公立大学でも私立大学でもほとんどですし、理系でも、主要国立大学はA科目受験を認めていません。

 だから、文系生徒の多くが、世界史Bを必修し、日本史か地理を選択します。理系は、90%の生徒が地理を選択します。
ある先生が、「世界史」「日本史」「地理」の用語集における語彙の数を調べてみました。なんと、世界史が「8000」日本史が「12000」地理が「5000」なのだそうです。つまり、この3教科の中では、地理が「語彙数」としては一番少ない。だから、センター試験だけ必要とされる理系においては、「地理」の受験が一番たやすい。理系の諸君はよほどの「超マニア」以外地理受験でよいです。「俺は日本史が大好きだけど、先生に勧められて地理にさせられたので、地理の勉強は出来ない」というのは、完全な言い訳に過ぎません。ほとんどの理系生がそうだからです。日本にそれほど「地図が好き」「地形が好き」などという生徒はいません。これから好きになっていくのです。

文系生徒は、世界史と日本史を高校2年生で学習し3年になるとどちらか一つを選択します。(若干違う高校もあるかもしれません)。というのは、大学受験で、この歴史2科目を必修で指定している大学は東大だけだからです。東大受験生は三年生になって2科目を勉強します。ただし、東大以外は2科目ではダメかというわけではありません。センター試験では、「地歴・公民」という区分けになっていて、「地歴2科目」と「地歴公民各1科目」は同じ扱いだからです。過去に教えた某F高の例に見ますと、この日本史&世界史学習クラスは10人未満でした。その中で東大が1名、京大が1名、他は東北・名古屋・阪大・一橋大などの進学になりました。そういう風に、「日本史&世界史」受験は文系における“超エリート階層” なのです。

 文系生において、なぜ地理の選択が少ないのか?という疑問は、「文系の学問」(文学・歴史・政治・経済・語学)などにおいては「地理」より、「歴史」の方がはるかに親和性が高いということです。つい最近気づいたことですが、“文学”とは、高級な歴史的メッセージのことです。だから、日本史の土壌なしでは日本文学や日本政治は語れませんし、世界史の素養がなければ、世界の文学(西洋史では音楽も)を語れません。
 だから、文系生の受験は、「世界史」か「日本史」になります。

さてさて、では「世界史用語集は8000」「日本史用語集は12000」の説明に入りましょう。世界の歴史の方が、覚えるべき事はたくさんあるあずなのに、なぜ、日本史の必修語彙が12000もあるのか?
それは、日本史における「文化史」の扱いが世界史より多いからです。世界史は、古代西洋史・古代イスラム史・古代中国史、「近代化という世界発展史」そして「近代各国史」が主な分野ですが、「文学」「芸術」「宗教」に関する扱いは日本史よりはるかに少ないのです。・・・・「宗教」に関しても、日本史の方がはるかに複雑です。
しかし、日本史の中で、「文学」に関しては多くが「古典」で肩代わりしてくれていますし、「芸術」に関しては、それこそ幼稚園児代からの素養が肩代わりしています。「日本史用語集12000」のうち「4000」は文化史系(文学・芸術)です。

だから、「日本史」&「世界史」でどちらを選択するか?の主要な動機の一つに、「日本の芸術(文学を含む)」にどれだけ興味があるか否かでしょう。
また、「日本史」を教える資質の一つが、「芸術の鑑賞の干渉の仕方」を広められることができるかどうかだと思います。
今、どちらかというと「世界史」人気が「日本史」人気を上回っているのですが、それは高校生が“芸術”に関心を示さなくなったことに関係があると思われます。

さて、長くなってしまったので、ワタシの専門分野である公民に関しては、次回にしましょう。ワタシという存在は、もの凄い重要な存在であります。(理由は、数学や英語の先生は、高校内に7~8人もいるが、公民は一人である)
その「公民」とはどのような教科かというブログを次回に書きます。お楽しみに。

 

 

















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▲ by tommyjhon | 2014-09-23 07:09 | 現代社会の授業 | Comments(2)
2014年 09月 20日

文理選択

全国の毒舌ファンの皆様 おはよございます。Tommy先生です。

 ということで、我が校の1年生はは、来週の月曜日のLHRで“文理選択説明会”。ここから、11月の文理の人数確定まで、1年部職員&生徒の長い“お悩みtime”が続く。もともと、文理選択なるものは大学の予科が終わって、さてさてどの道に自分は進もうかと悩むようなものだった。今でいう、東大の進フリである。つまりは、年齢的には20歳前後の世代の選択だったのだ。それが、100年ほど過ぎると、15歳の秋に行われるようになった。こんなところにも科学技術・社会制度の発展が見てとれる。まるで、円の相場みたいだ。
 ただ今、日本は円安で大騒ぎである。アベノミクスのちょっとした成功は、円・ドル相場が円安にふれたことが大きい(つまり、円を売ってドルを買った人が多いってこと)。だが、1年もすると“行き過ぎた円安”ということで経済界が騒ぎ出した。どれだけ身勝手なんだろうね。
 日本人がどれくらい自覚しているかどうか知らないが、円・ドル相場は、歴史的な観点からするとどんどん円高になっている。1949年、ドッジラインとともに固定された円相場は1ドル=360円だった。1971年に1ドル=308年に切り上げられたのち、1973年か変動相場制に移行するが、1ドル=250円(世界丸ごとハウマッチがヒットしていた時代)から1ドル220年(1984年ころ)、1ドル120円(プラザ合意1985年)1ドル79円(ルーブル合意の頃)とどんどん円高になってくのがトレンドである。歴史的に断言すると、ドルは衰退するのである。それを同盟関係とやらで延命させているのが日本の一貫した立場なのだ。日本では、小泉や安部のような協力(強力?)自民党政権が続くと、円安に振れる。小泉の時は1ドル=115円と今から見れば相当な円安であった。

 これは、話が飛びすぎた。要するに、人間の発達段階において文理選択が若年化するのも歴史の法則である。社会に出て何らかの学問を身につけて貢献しようとすると、その社会が高度化するものだから、より専門的になりより複雑になるのは歴史の鉄則で、若者の社会進出が22歳~24歳で決まっているとなると、文理選択の低学年化は止まらない。ワタシよりちょっと上の世代では、文理選択を高校3年生で行っていた高校もある。
もしかすると、次世代の高校では、普通高校高校入学の時に「文理選択」を強行してしまう所もでてくるかもしれない。

 だから、今の高校教育制度(大学進学を前提とした)では、“とりあへず”は許されないところまで来ている。今の親世代では、“とりあへず理系”という選択肢が当たり前のように存在し、“文転”という言葉も辞書にあった。もちろん、文転した高校生も3.4年前までかなり見受けられた。

 しかし、今の入試制度では、それがほとんど完璧に不可能になっている。もちろん高校の授業を半分無視して予備校とのダブルスクールを敢行すれば不可能ではないが、高校の授業だけで大学進学を試みるならば、途中の文転は無理だ。(理転は60年くらい前から不可能)。理由は、カリキュラム(授業の数)の複雑化と大学入試センター試験の多角化にある。もはや、2年生から文理別々の授業を別々の時間数で構成しないと、「理系の必修単位数」と「文系の必修単位数」は勉強できない。そして、大学センター入試は、20年前と較べて(当時は5教科5科目だった)凄い勢いでマルチ化しており、今は5教科7科目となり、次回大学入試センターから、理科は「生物基礎」「化学基礎」「物理基礎」「生物」「化学」「物理」となり、完全に「基礎科目」と「専門科目」に分かれた。文系は「基礎科目」2科目を受験し、理系は「専門科目」2科目の受験となる。これだけならば、文転が出来ると思われるが、反対に、地歴公民科(昔の社会科)は、文系が2科目(だいたいが、地歴1と公民1)必修となり、理系にいくと、2年~3年で地歴公民科を1科目しか勉強できないわけだから、かならず1科目は欠落する。
 ならば、もっと高校で勉強する科目数を増やせよというご指摘があるかも知れないが、他にも20年前とは違う多くの「受験には関係ない必修科目」も加わっている。それが、「情報」であり、「総合」であり、「地歴A科目」であったりする。今からほぼ10年前、この「受験には関係ない必修科目」を“やったことにする”裏技で、日本中の進学校が“未履修問題”で揺れた。

 ということで、この文理選択という大きな壁は、高校生に“いいかげんな気持ち”では絶対越えてはならない壁として存在している。高校生諸君、よく考えるべし。

 ここで、ご注目の必殺秘話。

 この文理選択トレンドだが、今や相当な「理高文低現象」が起きている。勉強の出来る生徒が理系に集中し、文系の人気は凋落中である。同じ大学で較べても、文系学部はかなり入りやすい。さすがの“旧帝大”でも、文系は楽だ。旧帝大必修の「文系数学」においても実際の問題難易度は急落している(文系の問題は相当やさしくなった)。私立大学はなおさらであって、数年前に予備校が作り出して、一躍大学受験用語になった、「MARCH」なる言葉はどんどんほころびが出ている。明治・青山学院・立教・中央・法政の各有名私立大学は、文系学部の偏差値は一部を除いて急降下している。簡単に言えば、受験すれば「入っちゃう」ところまできている。関西の方で言えば、「R」で始まる有名大学は、・・・・・あんまり言いたくはないが、「誰でも○○しちゃう」ところまで行き着いた感がある。

 また、このような行き過ぎた「文理の人気偏向」は、過去にも起きたことがあり、今から40年まえの1970年代も「理高文低」時代だったが、この時期は、理系の就職難が同時進行してしまい。せっかく大学まででたものの就職がほとんどないという悩みが理系におきた。
 1990年代は、高校生の人口急増時代であって文系大学の人気が一気に高まり、地方の泡沫大学でも文系学部でどんどん難易度が上昇した。(大学名は言えないが、箱根駅伝で急成長した大学などがあてはまる)
 また、2000年代には、司法制度改革やら法科大学院やら、MBA(経営学系大学院)やらの大人気で、文系バブルが起きた。法学部、経営経済学部の人気が一気にたかまったのである。しかし、今や司法業界は凋落の一途で、法科大学院は“使えない制度”になり、弁護士は溢れかえって儲からない資格となりはてた。MBAはリーマンショック以後、話題にも上らない。

 つまり、結論は「逆バリ」である。理系人気の時に文系にいく、文系人気の時に理系にいく。このような選択が、社会にでていく22歳から24歳ころのトレンドに合致するパターンである。

さてさて、「要するに」を言わなければいけない。 
大学は、「学問を勉強する」ところであって、「就職するために行く」ところではない。やはり、本来は自分の好きな「学問」を見つけて、そこに向かって突き進むことが高校生の正しい生き方である。これから何を真剣に勉強するのかを真剣に考えて欲しい。ただし、数学を中心とした「自然科学系学問」は、誰でも出来るものではない。理系を志望する諸君は、空間ベクトルや複素数平面など、超高難度数学を理解できる特殊能力を持っているのか?


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▲ by tommyjhon | 2014-09-20 06:20 | 現代社会の授業 | Comments(0)
2014年 09月 18日

スコットランドが独立するらしい

全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommy先生です。

 ということとで、2014/9/18はスコットランドの住民投票の日らしい。独立が達成されると、「住民投票」が「国民投票」に変わる。
 そもそもイギリスは、冷戦構造が崩壊する時に、東ヨーロッパ諸国の独立を支持してきただけに、自分のお膝元での独立運動を押さえることはできまい。そういえば、スペインでも「カタロニア州」の独立運動が盛んになっている。これも、独立熱が高まってくるならば阻止できまい。
 実は、21世紀に入ってから、6つの国が独立している。
http://manapedia.jp/text/index?text_id=1103
  
東ティモール2002年東南アジアインドネシア
セルビア共和国2006年ヨーロッパユーゴスラビア連邦共和国
モンテネグロ2006年ヨーロッパセルビア
コソボ共和国2008年ヨーロッパセルビア
クック諸島2011年オセアニアニュージーランド
南スーダン共和国2011年アフリカスーダン

 そして、イギリスをはじめとする西欧諸国はこの独立を支持してきた。独立を阻止させようとする勢力は、西欧のマスコミによって、“独裁者”のレッテルは貼られた。東ティモールの独立に関しては、日本のPKOが選挙監視団として派遣されたのでなじみが深いが、あの時には、独立派住民の大多数が「ポルトガル系」であり、独立阻止派が「インドネシア系」であることは伏せられていたように思う。そして、独立阻止派の悪行ばかりかき立てられていた気がする。

 そもそも、“グローバリゼーション”とか“グローバリズム”とかいいながら、実は「世界覇権主義」を実践していたのは、米英を中心とする勢力である。ワタシは、授業中にわざわざ英和辞典を引かせて、グローバリゼーションが、「世界的干渉主義」であることを確認させてきた。ところが、ここ数年、英語の電子辞書には、グローバリズム=世界的干渉主義という訳語が姿を消した。つまり、辞書の上でも、本当のグローバリズム=世界主義と変化したのだろう。

 世界的干渉主義の時代が終わりを告げるということは、今までのアメリカ中心の支配から脱出することである。彼ら西欧人の支配者達が勝手に引いた国境線も、もう一度考え直す事になるだろう。スコットランドの独立が認められれば、イスラム諸国の民族自決も認められなければならない。彼らを「既存の世界秩序から逸脱している悪人」と決めつけるわけにはいかない。世界地図を眺めるとハッキリわかる、いかにも人工的な直線だけの国境線こそ、他民族が支配していた(植民地として分割した)象徴なのだから、おそらく、この21世紀中には、多くの国境線がもう一度引かれ直すことになるだろう。
 スコットランドの独立によって、世界的な話題は「ポンド」はどうなるか?ということである。イングランド諸島以外の者にとっては、自分の資産が一番問題なのであり、「ポンド」とか「ユーロ」とかの暴落とか、「株価」の暴落にした興味がないだろう。もちろん、彼らは“安定的な変化”を一番期待しているので、スコットランド独立阻止派であろう。

 ただし、どこでどの通貨が使われるのかを決めるのは、これも本来その住民である。そして、その町、その村、その地方で、どの通貨が一番信用がおかれる(使われ出す)のかが、本当にその国への「帰属」になる。これは、世界史の中では、「元」と「人民元」の争いで明らかにされた。
「中国共産党が大陸で勢力を伸ばしていく」と世界史ではさりげなく書いて終わりにするが、実情は、あの広い中国大陸に散在する村々や町々で、共産主義勢力の「人民元」が中華民国の「元」にに取って代わっていったことなのだ。この意味では、「通貨」に関しても、住民に自己決定権がある。あのEUだって「ユーロ導入」は国民投票でそれぞれの国が決めたはずだ。

 スコットランドとイングランドの国境線はこんな感じ
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実は、この国境は、日本人は、必修で勉強した箇所である。10年くらい前から、「世界史」が必修とされたので、今の30歳以下の日本人は、スコットランドとイングランドの国境が、「ハドリアヌスの長城」であり、ローマ帝国の国境であることは知っているはずだ。
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このような歴史があるならば、スコットランドの民族としての独立は、その民族のDNAとして認めないわけにはいかないだろう。この国境には2000年の歴史がある。

 話は急に変わるが、昭和天皇が生涯にわたって「植物学」の県境を続けていたのはご存じだろう。ワタシを含めてほとんどの者が、「それは、昭和天皇個人の趣味」としか考えていなかったと思うが、ふと、これは大きな意味深い研究なのではないかと思った。
昭和天皇は、「日本列島」とか「日本人」とかの定義を、お立場上、確定しなければならない位置にいた。つまり、どこからどこまでが日本であるのか?という疑問の、本当の答えを植生に頼ったのでではないかと思われる。
沖縄は日本なのか否か?の問いは、沖縄を含む南西諸島が日本なのか否か? 台湾はどうなるのか? 千島列島は日本列島なのかどうか? という問いを、学問的に証明すべく「植物学」の研究に打ち込んでおられたのではないか?と思う。

 そうえいば、尖閣諸島?か何かの帰属が昭和天皇のご存命中に問題化したとき、昭和天皇が「植生」を質問されたという話を、阿川弘之の小説か何かで読んだことがある。  

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▲ by tommyjhon | 2014-09-18 06:30 | 現代社会の授業 | Comments(0)
2014年 09月 16日

9.11を忘れない

全国の毒舌ファンの皆様おはようございます。 Tommy先生です。

ということで 2001年9.11の世界同時多発テロから、13年が過ぎた。
どうも、世界中の政治家&経済人&ジャーナリスト達は、この奇っ怪で最悪な9.11同時多発(ヤラセ)テロを忘れ去ろうとしているようだ。
 日本は9.11というと、3.11からちょうど半年なので、9月11日のニュースは、「東日本大震災から3年半・・・・・・・」というニュースばかりだった。
もちろん、発生地のアメリカでは、オバマ大統領夫妻も参加して追悼式典が行われたらしい。日本のニュースしいでもそれだけは報道していた。

 しかし、この13年前の同時多発テロは、「明らかに謎の多いテロ」であって、正しい検証は13年たっても出てこない。アメリカ合衆国全体が、「もう、起きてしまったことは事実としてだけ認めて、原因とか真犯人とかは考えないようにそうよう」という状況になっている。
 これは、ケネディ大統領の暗殺とまったく同じ事態だ。ケネディ大統領暗殺も40数年たってやっと、映画化され、JFKなる書物が出版されて、「とにかくもう一度真面目に考えてみよう」ということになった。

 この9.11同時多発テロが、どれだけ謎が多いかは、毎度登場の田中宇氏のサイトをもう一度よく読んでいただきたい。(ブログの終わりに貼り付けた)

 この奇っ怪なテロからまだ、13年しか経っていない。本来の、本当の、ちゃんとした、ジャーナリズムならば、必ずや毎年9.11には、このテロの検証報道をするべきだ。今の中東情勢も、もとはといえば、アメリカがテロ攻撃の根拠を絶滅させるといいだして、アフガニスタンに侵攻したのが混乱の始まりだ。

 今年の9月の中心的な話題は、「朝日新聞」であろう。従軍慰安婦の捏造とか、原発事故での「吉田証言」の誤報とかが、朝日新聞以外の新聞社からガンガン叩かれている。

 しかし、朝日新聞の最大の罪は、捏造でも誤報でもない。(こんなことは他の新聞もたくさんやっている、別に朝日だけではない)今後、読売新聞と産経新聞の(まちがった)極右化を止められる新聞メディアをなくしてしまったことだ。

 こんな話も若い読者は知らないだろうが、読売新聞とは、CIAのスパイであった正力松太郎が長い間社主を務めてきた、「アメリカべったり新聞」である。正力と読売は、「原子力平和利用推進運動」の旗頭であって、フクシマにアメリカ製の原発(この事実もあまり報道されていない)を導入した張本人でもある。

 そして、産経新聞とは、このアメリカべったり読売新聞に危機感を感じた「右翼系財界人」たちによって創刊された新聞であって、20年前くらいは、「反アメリカ的・大陸主義的」気質の新聞であって、中国共産主義は批判するが、中国そのものは嫌いではないくらいのスタンスだった。だから、20年くらいまえは、ワタシも産経新聞を購読していた。

 しかし、この読売と産経が、まるで天下をとったかのように朝日新聞を叩きまくり、本当に天下をとってしまいそうである。

 ただ、本物の「右翼思想」とは、「世の中はなかなか変わらない」であて、アリストテレスから始まり、本居宣長とか平田厚胤あたりも含む大きな人類の思考方法である。だから、日本の右翼思想とは、「島国」であるから。どこにも従属しないというのが、日本の根本思想だろう。
しかし、読売や産経は、なぜだか、アメリカに従属し中国を敵視するだけを、右翼思想と考えているようだ。この「従属」が「同盟関係」とか「世界平和」とか「グローバリゼーション」とかにすり替わって新聞紙上に登場する。

そんな新聞は、朝日新聞以上にダメである。 朝日もダメだが、読売も産経も全部ダメ!!!!!! 

真のジャーナリズムを誇るなら、もう一度9.11を検証してみろ!!!!
そして、素直に、
「あれはアメリカのヤラセテロであった」と暴いて見せろよ!!!!!

<貼り付け始め>
2001年9月11日に、米国でハイジャックされた旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)とワシントンDCの国防総省(ペンタゴン)に突っ込んだ911事件が起きてから13年がすぎた。あの事件は、不可解な謎がいくつもある。ほとんどは、今も謎のままだ。ビルに突っ込んだ物体がハイジャックされた旅客機だったのかどうかすら不確定だ。

 思いつくままに謎のいくつかを挙げる。ふだんは厳しい米国の防空態勢が当日だけ皆無だったこと。航空機が突っ込んでもWTCビルの鉄骨は崩壊しないはずなのに崩壊したこと。WTCの崩壊のしかたが爆弾による「制御解体」とそっくりなのに米当局は爆弾説を強く否定していること。WTC崩壊の数時間後に近くのWTC7ビルが突然全崩壊したこと。国防総省に開いた穴が航空機よりはるかに小さかったこと(旅客機でなく設置型爆弾の可能性)。2機のブラックボックスが見つかっていないこと。犯人像が不透明なこと(実行犯の何人かは「人違い」)。アルカイダに実行犯組織としての実態がないことなど、少し考えただけでも書ききれなくなる。 (9.11 いまなお消えない9つの謎)

 911事件後、無数の謎がインターネット上で英文で指摘された。私は、これらの情報をできるだけ集めて読み、事件の謎の全体像を何回かの記事にわけて書き、ネット上で配信した。それを本としてまとめて02年4月にPHP研究所から「仕組まれた9・11」として出版した。その後、911の謎について考えることが「陰謀論」とされて「良くないこと」「間違った行為」とみなされる傾向が日米などの言論界で強まった。保守的な出版社であるPHPの上層部は、出版した後になって不良本を出したことに気づいたのか、本書は早々に絶版になった(売れなかったから絶版にしたという反論があるだろうが)。

 絶版になって10年ほど経ち、本書はもうほとんど手に入らないが、そこに書いた疑問点のほとんどは今も解明されていない。911は歴史の転換点として大きな意味を持つ。本書の内容を公開しておくことは歴史的に重要なことなので、私が書いた初稿をネット上に公開することにした。 (仕組まれた9・11)

 この公開は、数年前からやろうと思っていたが、億劫でやっていなかった。「13周年」を狙って公開するものではない。今回公開したものの、参考文献のURLがクリック可能になっていないなど、時間がないのでHTMLタグを最低限しかつけていない。章立ても、出来上がった書籍のものとは一部違っている。

 米国では毎年9月11日が近づくと、911事件の謎についての言及が出てくる。今年はロン・ポール元下院議員が、ブッシュ政権は事前にテロ事件の発生を察知していたが防がなかったことがわかったと発言している。この件は、事件から2カ月後にはすでに米国で指摘され、私も当時「テロをわざと防がなかった大統領」という記事を書いているぐらいで、非常に基本的な謎の一つだ。911は、基本的な謎すら解けていない。 (テロをわざと防がなかった大統領) (テロの進行を防がなかった米軍)

 03年のイラク侵攻をめぐっては、侵攻の大義となった「イラクの大量破壊兵器保有」が米政府によるウソであることが事前に指摘され、侵攻後、ウソであることを米政府も認めた。イランが核兵器開発しているという非難も、米イスラエルが作った濡れ衣であることが関係者の間で常識になりつつある。昨夏にシリアで化学兵器による市民殺傷をしたのが政府軍でないことも、事情通なら知っている。ウクライナでマレーシア機を撃墜したのがウクライナ軍であることも暴露されていきそうだ。

 防御力が比較的弱いこれらのプロパガンダと異なり、911の謎だけは、何年たっても隠れているはずの真実(もしくは一枚下のプロパガンダ)が露呈しない。米国の上層部は、911の真相の暴露を全力で拒んでいる。公式な話(史実)にならず「陰謀論」にとどまる限り、真相は確定しない。イラクやシリアやウクライナの件は、多くの米国民から縁遠い外国で起きているが、911は米国内で起こり、当時の米国民全員に強い衝撃を与えた。だから米国の上層部は、真相の暴露を全力で防いでいる。

 逆にいうと、今後もし911の真相が暴露されると、政府に対する米国民の信頼が激しく低下し、政治的な地殻変動を起こしうる。911以来、テロ対策などを口実とした抑圧や、貧富格差増大の放置、違法移民の野放図な受け入れなど、米国を政治的、社会的に不安定にする流れがある。この流れが意図した裏の戦略であるなら、911の真相の暴露も、米国がもっと混乱して「機が熟す」(真相暴露の悪影響が最大になる)までとっておいてあるのかもしれない。

 911は謎だらけであるが、911が持つ歴史的な重要性は謎の多さによるものでない。911の重要性は、事件を機に米国の覇権戦略が「国際協調主義」から「単独覇権主義」に大きく転換したことだ。国際協調主義とは、覇権国である米国が、欧州や豪州カナダ(英国系諸国)など同盟諸国(先進諸国)の意見を聞きつつ、国際的に協調して世界を管理(運営、支配、覇権行使)するやり方だ。欧州や豪加は、世界運営の際にできるだけ武力行使せず、外交や経済制裁で運営していきたい(その方が効率的)ので、国際協調主義は外交重視だ。

 同盟諸国の中で影響力が強いのは、第二次大戦までの覇権国で、覇権を米国に譲渡した英国だ。国際協調主義は、英国が同盟諸国の名を借りて米国の覇権戦略を牛耳る「米英中心主義」である。NATOやG7など、米英+仏独伊+加日といった構造になっている組織は国際協調的だ。英国の世界戦略は、米欧豪日などユーラシア周縁部の海洋諸国が、ロシアや中国などユーラシア中心部の大陸諸国を包囲する「地政学」であり、その構図から戦後、冷戦が40年以上続けられた。

(国際協調主義は外交重視だが、米政界で影響力が強い軍産複合体を食わせるために、英国は戦後、米ソが長期的に軍事対立する冷戦構造を作ってやった。冷戦終結まで、英国と軍産複合体は仲間だった)

 対照的に単独覇権主義は、同盟国の意見など聞かず、米国が独断でやりたいように世界運営をしていくやり方だ。米国の上層部(政界)では、軍産複合体(国防総省と軍需産業)とイスラエル(AIPACなど右派ロビー)の影響力が強いので、単独覇権主義は「戦争」と「中東」が重要なキーワードになる。軍の影響力が強いので「何でも戦争で解決すべきだ」となり、イスラエルも強いので「(イスラエルにとって脅威である)中東の独裁政権を順番に戦争で転覆して民主化しよう」という話になる。国際協調主義だった911前のクリントン政権は、英国と仲が良かったが、911後に単独覇権主義を採ったブッシュ政権は、一転して英国に冷たくなった。

 911事件を深読みせず、報道を鵜呑みして「アルカイダが米国を敵視して起こしたテロ事件。米当局は無能なので防げなかった」と考えたとしても、米国が単独覇権主義に転換したことは不可解だ。テロ対策の効率が良くなるなら転換に合理性があるが、この件はそうでない。911後、米国だけでなく英国やスペイン、インドなど、米国の同盟諸国でもイスラム教徒によるとされるテロが起きているのだから、むしろ国際協調主義のままの方が効率的にテロ対策をやれたはずだ。911後のテロ対策から見て好都合だったから単独覇権主義に転じたのでなく、米国の覇権戦略を単独覇権主義に転換しようとする動きが米国の中枢で先にあり、そこに911が起き(誘発され)その衝撃を使って単独覇権戦略への劇的な転換が引き起こされたと考えるべきだろう
<貼り付け終わり>



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▲ by tommyjhon | 2014-09-16 06:11 | 現代社会の授業 | Comments(0)
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