全国の毒舌ファンのみなさま おはようございます。Tommyセンセです。
ということで、まだまだラグビーの話。
ワタシがファンになったのは、中学&高校の頃で、その時は秋から冬のシーズンには必ず、大学ラグビーがNHKで放映されていた。サッカーなんぞは高校選手権が盛り上がりの頂点で、「大人のやるサッカー」なんて番組はほとんどなかった。日本のメディアが早慶明などの大学出身者で占められていたからなのだろう。
当然のごとくBGMは♬ノーサイド♪なのだが、今日はしゃがれた声のユーミンではなくて、麗美のノーサイドをお聴きください
もちろん、秩父宮とか国立で観戦したこともある。
前回も書いたのが、母校富士高校では3年生の体育の時に、ラグビーをやった。だいたい11月の中旬に球技大会があり、富士高の1年生男子がハンドボール、2年生がサッカー、3年生がラグビーで各学年クラス対抗で争う。デブ体型のワタシは、ハンドボールでキーパーをやって、2年サッカーではほとんど試合に出させてもらえず、3年ではフォワードの主力で出場した。もちろん、クラス対抗であるから全員が「主力」だけである。たぶん、前後半15分・前後半で全員が入れ替わりクラス全員必ずゲームに出るというルールだったように記憶している。当時は夜明けからの朝練が行われていた(非公認だとは思うが・・・・)。3年の11月、受験勉強に飽きていた仲間達は、4時頃からぞろぞろ学校に集まり、学校が始まるまでの2時間をたっぷり汗を流した。大会では初戦で負けてしまったが、バックスのエースが最後に1トライを返し大喜びしながら終わった。
そして、今から18年前に教師として母校富士高に帰ってきた。何と11月の球技大会がまだまだ健在で、3年生の競技はもちろんラグビーだった。朝練も健在だったが、そこはしっかりルール作りが行われ、場所と日時は抽選のもと決められていた。7時開始、7時50分終了だったように記憶している。この朝練には担任が付き添うのが条件だったので、ワタシタチも朝練の日は、朝早く集合した。
最初のクラス担任の時、朝から雨が降っている時があった。当然、中止だと思ったのだが、念のためにグラウンドに傘をさして行ってみると、31HR(ワタシのクラス)と32HRが練習マッチをしているではないか!!!! しかも、ずぶ濡れになって審判をしていたのが、当時の32HR担任だったY木監督である(当時の富士高野球部を指導していた)。Y木監督のクラスは、掃除機を私物化したり、連絡事項の見に来た入り(担任が忘れているので)、かなり迷惑なクラスであったが、ある意味であの破天荒な指導をワタシは尊敬している。
教員になって出会った富士高のラグビーは様々にルール変更が行われていた。なんと、スクラムを押してはいけないのである。他にも様々なローカルルールがあった。したがって、専門家の方々から見ればへんてこラグビーであるが、ラグビーのプレーする時の面白さと醍醐味は何も変わっていない。そこには体育の先生方の、ラグビーを残そうという情熱と知恵が詰まっていた“富士高ラグビー”なのである。富士高の体育の先生方の想いがが伝わってきて頭が下がる。ということは、富士高の体育教師として赴任すると、ラグビーの指導法はもちろんレフリングまで覚えなければならないのだ。
この球技大会は、一日中グラウンドで生徒が暴れているが、ハンドボールのレフリーはハンドボール部員が行い、同じく、女子のバレー、バスケ、2年男子サッカーもそれぞれの部員で行われる。ただしラグビーだけは部がないから体育の先生の総動員である。ワタシは、率先してタッチジャッジをかってでた。これくらいならばお手伝いが出来る。この日は、体育の先生方は、業者からお弁当を頼んでいたが、タッチジャッジをやる先生にもお弁当が配られた(これが目当てだったかも)。
3年生ラグビーの伝統は、6年くらい前に消えた。当時の校長が率先してラグビー中止、新競技導入を唱えたからだ。教員はもちろん反対した。
ある女性の先生は、
「3年生の担任になって、初めて思いました。受験生にラグビーは必要なんだ。富士高にラグビーは必要なんだなと。」
「心が折れそうになる勉強の毎日から解放してくるる球戯としてラグビーは最高なんです」
「3年生の中には、体型が丸かったり、足の遅い生徒も何人もいます。彼らは、今までの運動会や球技大会、スポーツテストで、まったく活躍できない生徒でした」
「でも、ラグビーならば、活躍できるのです。足の遅さも、体型も、全然関係ないのです。」
と職員会議で訴えた。
その女性の先生は、ワタシに、“極悪人”というあだ名をつけた先生で、天敵的存在だったのだが、ワタシを極悪人呼ばわりすること以外は本当に尊敬している。ただし、事情によってイニシアルトークも出来ない。
しかし、校長の見解も解らないではない。今の時代、もし、学校の球技大会で受験ができないような怪我がでたら、それは大問題になるだろう。ラグビーはその危険性が高い競技ではある。しかも、そのラグビー中止の決定を下したのは、富士高OBの校長である。自分もラグビーを経験してきたはずだ。おそらく、校長先生にしてみれば、ラグビー中止の決断を下すことが出来るのはOBである私しかいない。という信念もあったのだろう。
2019年、日本にラグビーの熱風が吹き荒れた。にわかファンは、必ず言う、「もう一度4年後に・・・」。とはいうものの、ラグビーの競技人口を確保するのは凄い大変なのである。野球は50年の間にとうとう少年の心から去って行った。お父さんお母さんが野球好きという家庭以外で、野球をやらせる親はいない。
サッカー大人気であはるが、今や小学生のガキでさえ、“芝生のグラウンド”を探してチームを選ぶ時代である。
もはや、競技スポーツの出発点は、「親の送迎力」になっている。少子化で、選手募集は広域化し、グラウンドはどんどん遠くなっている。
卓球やバドミントンが今の日本のちょっとしたブームになってる。屋内の比較的狭いスペースでも活動でき、少人数でも出来るという特性は、ラグビーの正反対に対峙する競技である。
事実、ワタシの長男は、バドミントンの選手であったけれど、小学校の時にはサッカーをやりたかったらしい。でも、ワタシ達夫婦の仕事場の関係でそれは叶わなかった。次男が野球をやれたのも、少年野球とリトルシニアのグラウンドが、自転車でも行かれる距離だったことが第一の理由ではある。
「親の送迎力」にかかる競技スポーツの中で、ラグビーの裾野を広げるのはとてつもなく大変なことだ。しかも、ラグビーが危険なことも、2019年の熱風で女子供(おんなこども)にも刷り込まれた。そんなとき、富士高の体育科教師達が残した、「存続のためのルール変更」が少しくら役に立つのかもしれない。
年代別のラグビールールがあって当然なのだ。小学校に時代には、タッチラグビーというのがある。
少子高齢化の会、高齢者にとって、プロスポーツの観戦は重要な娯楽の一つになる。子供達の育成も、子育て中の大きなテーマになるだろう。そこに行政が手助けする意義は大きい。我が町富士市は、もうすぐ市民体育館を建て直しするそうだが、基本設計によると、観客席は3千人足らずだという。それでは、バスケットもバレーも、卓球もバトミントンもトップチームがやってこない。・・・・何もわかっていないのだ。
ちなみに、富士市が所有するサッカー場・野球場・陸上競技場は、ほぼ富士山麓という高台にある。遠いのじゃよ。
こういう都市に未来はないと思う。