全国の毒舌ファンの皆様おはようございます。Tommyセンセです。
数年前に購入して(読んでみて)衝撃を受けた本がある。
アメリカでは教育予算が削られ、かつ、教育に“出来高払い”なる仕組みを設けたため、どんどん、民間の儲け主義が侵入してきている。
よく、アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪を引くなどといわれてましたが、今回の4技能検定騒動で、日本の教育における方向性がまさしく、この本が指摘した通りになってきた。
金がなければ、子供を育てられなくなってきたのだ。事実、こんな調査を露骨に公表する雑誌もある。
この記事にでてきた、進学率マップだとさ、
これは、まさしく東京都の地図で、色が濃いところが進学率の高いところだそうだ。
ここまで、露骨に色分けされたら、子育て中の親もそうとう悩み、苦しむだろう。
ワタシは、進学校での指導をかれこれ20年もやっているが、
表題にした言葉が、一番の指導方針である。
学年主任も2回、今年は進路部長として、4月のはじめには必ず、学年集会みたいな催しがあり、スピーチを行う。そして、必ずこのように叫ぶ
「私たちは、地方の進学校という立場にあります。もし、この〇〇地区ではトップの進学校です。そして、皆さんは、あまり悩むことなく、この高校に進学してきました。もし、君たちが、全く同じ能力をもって、都心部で育った場合と、この〇〇地区で育った場合、18歳の春になって行く大学が違う、ということになったらおかしいでしょ。日本の高校生は、同じ能力を持っているならば同じ大学に行く資格があるのですし、そうするべきです。」
「もしかしたら、都会のように、小さい頃から進学塾にかよっていたら、君たちより先行して頭がよくなっているでしょう。でも君たちは、小学校の時は塾なんて目もくれずサッカーばかりやっていた(清水区の場合)。でも、しっかり目標を定めてこれから準備をすれば必ず18歳の春には追いつきます。厳密に言うと、高校3年生の2月24日には追いつきます」
この信念と少しの実績で日々生活しているのである。
萩生田の「身の丈」が、「それなりの能力という意味の身の丈」ならば、ワタシも普通に使う。
もし、「それなりの住所と経済力という意味の身の丈」ならば、絶対に許されない。
・・・・公教育とか、資源の最適配分とか、国家の理念とか、人材の育成とか、機会均等とか まじめに考えたら同じことだろうに