全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommyセンセです。
今となっては、遠い昔のようなニュースですが、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長が退任を表明した。
一般メディアは、意図的にスルーしているが、竹田恒和氏は元皇族である。
竹田氏のご先祖様を辿っていくと、日本史的にかなり面白い。(こういうときは、ウィッキペデアが本当にためになる)
竹田恒和氏の父親が 竹田 恒徳(たけだ つねよし)氏であり、1947年に皇籍を離脱した。この時には、昭和天皇の兄弟である秩父宮、高松宮、三笠宮の3直宮(じきみや)を残して離脱したので、宮家が3つだけになった。ちなみに、竹田恒徳氏もIOCの委員長を務めている。
竹田家は、北白川家の分家である。
1947年、に皇籍離脱したのは、いずれも伏見宮家と同宮家から枝分かれした宮家で、伏見宮、東伏見宮、山階(やましなの)宮、賀陽(かやの)宮、久邇(くにの)宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、北白川宮、竹田宮、閑院(かんいんの)宮の11家であって、すべてが伏見宮の系統であることにまず驚く。伏見宮系は子宝に恵まれたのね。
しかも、この伏見宮の系統が、天皇家から分かれたのは600年も前のことである。 日本という国は、一応2000年間、万世一系の天皇家が治めていたことになっているが、摩訶不思議な日本の統治システムより、これだけの期間、血統を維持し続けた方が奇跡的だろう。しかし、この伏見宮の系統が600年も続いていることも同じようにすごいことだ。伏見宮ができたのは南北合一直後のことらしい。つまり、天皇家を支えてきた裏一族ということになる。
ただし、明治になっての伏見宮は、軍人一族となって、軍部の要職を占め、配下の軍事官僚の言いなりとなり、軍部の横暴を防ぐことができなくなった一因でもある。
だから、皇室に男の子が生まれず、愛子様が「女系の天皇になるか?」と騒がれた時点で、この竹田恒和氏の子供である、竹田恒泰氏が、「直系男子の天皇家が断絶するようなことがあったら、伏見宮系の男子が天皇になるはずだ」と騒いだのも頷ける。
このようなお人であるから、平成最後の年に、贈収賄汚職で逮捕となると、これはもう大変なことなので、大手マスコミでは、竹田氏が元皇族であることなど、一行も記事にしないだろう。ワタシは、元皇族だから、一段と責任は重いなどとの言説には全く関与しない。元皇族だから潔白であれ、皇室に迷惑をかけるなとも絶対言わない。
なぜならば、近代オリンピックそのものが、世界にヨーロッパ人の優位性を見せびらかすために、フランスのグーベルタン男爵というヨーロッパ貴族が創設したものであるからだ。もともとの近代五輪が、ヨーロッパの上流階級の余暇であったスポーツのご披露のために作られたもので、当時、オリンピック初期には、プロっぽい職業人は、アマチュア規定にのっとり出場できなかった。例えば、マラソンに日本の一輪車車夫は出場を拒否されている。
そもそものオリンピックのスタートが貴族趣味なのである。そのオリンピックの権威の中で、日本が元皇族を当てはめることをしてもそれが普通のことだろう。
先ほど、書いた旧皇族11家は、戦後困窮を極めた。この11家を財政的に支援したのが、これもJOCの会長を務めた堤義明元西武グループ総帥であって、彼が、この皇族の住居地を買い上げて乱立したのがプリンスホテルである。彼は、ヨーロッパ特権階級のスポーツであったスキーを、日本で一般大衆化させた恩人ではあるが、“悪いこと”もたくさんやった人である。
明治初期日本の車夫が五輪に出場出来なかったという件を、ワタシが知ったのは。玉木正之先生の著作からである。日本で唯一のスポーツ評論家(スポーツ競技ではない)である玉木先生は、このことを良くわかっておられているので、Web上の玉木先生のコラムがまた面白い。
このIOC&JOCのスキャンダルの本質が、それとなく(露骨に?)書かれている。
ここからは、玉木先生のコラムの貼り付け
<コピペ>
3月16日(土)
朝起きて黒兵衛と散歩。JOCの竹田恒和会長は別に悪いコトをやったという認識もなかったはず。リオ五輪の招致委会長で組織委会長でもあったヌズマン氏がまったく同様のカネの流れで逮捕されたようにソレが招致の常套手段でIOC委員の多くもそれくらいのコトはわかってたはず。シンガポールの幽霊会社(?)への送金にサインしたのは確かだから(誰が送金しろと言ったのでしょうね?)竹田会長辞任は避けがたいが様々な招致コンサル会社(元IOC委員とかも関わってるんですよね)を野放しにしていたIOCの責任はないのかな?ワン。そして五輪招致立候補都市がパリとロスしかなくなって2028年より先の開催が見えなくなったのを救うのは五輪仮想通貨?ワン?午前中いろいろデスクワーク。昼食後からビデオに溜め込んでいた五輪関係録画を片っ端から見る。12年前の2007年の『そのとき歴史は動いた』で1964東京五輪招致に尽力し聖火リレーのルートを決めた田畑政治氏のドキュメンタリー(解説は池井優さん)の再放送などイロイロ面白かったがなかでも市川崑監督映画『東京オリンピック』でカメラを回した若き映画ニュース・カメラマンたちのドキュメンタリーが秀逸。若者たちが思い切り仕事のできる時代だったのですね。市川監督もこのとき49歳。日本中に若さが漲ってましたね(解説は保阪正康さん)。
3月19日(火)つづき
夕方文化放送『斉藤一美ニュースワイドさきどり』電話出演。これは竹田JOC会長の記者会見前の出演でオリンピックの開催都市招致合戦での「賄賂合戦」の歴史を少し話す。だからといって竹田会長が「無罪」とも言えないでしょうがバッハ会長をはじめIOC委員の大多数や招致委の幹部は誰もが知っていること。ある意味で竹田会長は可哀想ですね。任期満了退任の記者会見では若いリーダーへの交代を強調。それは正しい姿勢ですね。もっと交代してほしい年寄りは政財界スポーツ界にも存在しますね。大相撲は白鵬がサーカス相撲で負けませんねえ。貴景勝が鶴竜を破る。強い。某雑誌社から電話。「竹田会長の疑惑が晴れたと思いますか?」と訊かれたのでそういう問題ではないと答える。ニュースいろいろ見て風呂入って早々にベッドへ。
3月19日(火)つづき
竹田JOC会長は辞任ではなく任期満了退任を選びましたね。それは小生が16日付夕刊フジでコメントしていた「美しいやり方」です。その退任までの約3か月に何も起こらないことを祈りましょう。しかし「何が起こったのか」すべてを知っているIOCが一番汚いですね。そのことについてはいずれどこかにジックリ書きましょう。
3月20日(水)
朝4時半に起きて『ZAITEN』の連載「今月のスポーツ批評」を校正。テーマはもちろん竹田会長。予定稿で入稿していた「辞任」を「退任」に書き換える。続けて北國新聞の連載「スポーツを考える」の原稿書き。テーマは同じ。タイトルは黒澤明の映画をパクらせてもらって『悪い奴ほどよく眠る』。これって確か『ハムレット』が下敷きになってるんですよね。7時半に原稿を書きあげて送稿。8時過ぎRKB毎日放送『インサイト・アラカルト』電話出演。誰もがやっているからと言って「悪い手段」が正当化されるわけではないけれど竹田会長は一種の蜥蜴の尻尾切りですね。ねえバッハ会長。ラジオのあと黒兵衛と散歩。エエ天気ですねえ。帰宅後おやすみなさい。
ワタシが、拡大した、「ねえバッハ会長」の一言に強烈な凄みがある。