面接週間 |
スポーツという文化は基本的に若者の文化である。若い肉体が溌剌と躍動するなかで、新しい技術が生まれ、新しい記録が生まれる。それは年長者には絶対に不可能な試みである。
ところが日本のスポーツ界は、先生や先輩や師匠と呼ばれる立場に立つ年長者が、生徒や弟子と呼ばれる若者の上に立って指導し、時にはスポーツの技術以外のことまで(私生活の管理まで)指図する場合が多い。野球(スポーツ)の解説者も現役選手を引退した先輩の年長者として師匠的立場から若い選手たちを見下ろし、辛辣な評価を下すことが多い。
<貼り付け終わり>
このコラムが書かれた後に、日大アメフト部や日本ボクシング連盟の不祥事が一挙に表出した。玉木正之氏のサイトは毎日チェックするが、この文を今読み返して、改めて“ぞっ”と背筋が寒くなった。
ワタシ達が属する教育業界もまさに
先生や先輩や師匠と呼ばれる立場に立つ年長者が、生徒や弟子と呼ばれる若者の上に立って指導し、時にはスポーツの技術(勉強)以外のことまで(私生活の管理まで)指図する場合が多い。
ただ今、面接週間と銘打って全ての授業を5分短縮で行い、担任と生徒の面接時間を確保している。我が校には1学期と2学期、このような週が2回ある。1学期の面接週間には、別な意味もあるので無駄とは言えないが、2学期のこれは不要だろうと提案したが、勢いよく却下された。先生方は重要だと思っているようだ。
そんな中で、我々の習性(これはもうどうしようもない悪癖)で、生徒達に「将来はどんな職業を目指すのか?」「どういう目的をもって大学に行くのか?」「ではそのような勉強が出来る学部、学科はしっかり調べたか?」などと聞いてしまう。
ちょっと待て!!!!! 世界は2030年問題が大きく騒がれているのだぞ、誰かの言葉であるが
「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」
という時代だ。今の15歳から18歳の若者とは、2030年には28歳から30歳に達している世代なのだ。65%とは言わないまでも20%くらいは、今存在していない職業に就いていることだろう。
そんな環境で、さきほどの(担任との面接)中での質問
「将来はどんな職業を目指すのか?」
「したがって、どういう目的をもって大学に行くのか?」
「ではそのような勉強が出来る学部、学科はしっかり調べたか?」
などが意味を持っているとは全く思えない。
キャリア教育というのは、
勤労観および職業観を育てる教育。主体的に進路を選択する能力・態度を育て、職業生活との円滑な接続を図る。
だそうである。
この定義に沿ってキャリア教育を考えるならば、育成すべきは、「勤労観」や「職業観」であって、「職業」や「勤労」ではない。
よく考えてると、「将来目指す職業」を考えるという作業と「将来の職業観」というのは、似ていて非なるものである。“先生になりたい”というのは職業であるが、「あまりどろどろとした金金金の生活はしたくない」今高2ですが自分が何に向いているか分からないと悩みすぎているようです。
なれると思えない医学部は辞めますと言って、ならば研究者など立派な代替案を言えなかったので
罵倒されて泣いていました。こういう先生には何と言っておけばいいのでしょうか?