「啐啄同時」 |
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2017年 12月 08日
全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommyセンセです。 ということで、またもや飛び出しました安倍晋三のお友達疑惑!!!! こちらでも判ります。 ロッキード事件やリクルート事件、佐川急便事件、歯科医師会献金事件など、過去にも日本全土を振るわせた政治家絡みの贈収賄事件がありましたが、安倍晋三の悪巧みは、今までと妙に違う。 今までの贈収賄事件は、 企業⇒政治家 というカネの流れ に対し 政治家⇒企業 という便宜 だったのに、 安倍晋三の疑惑は 値引き(補助金のようなもの)→森友 認可(そして補助金)⇒加計 補助金⇒スパコン開発の斉藤 と、“企業の儲けた金が政治家に流れる”のではなく、“私達の税金が、個人的な関係で特別な人物に流れる” という構図に変化した。 ワタシが安倍晋三を特別に嫌い、且つ蔑視するのは、こういう、志の小さなところ(自分の友達だけがターゲット)だ。 社会問題はこれくらいにして、今日は、教育現場のお話し。 禅宗の講話に「啐啄同時」(そったくどうじと読む)いうのがある。 例えば、 <貼り付け> 「啐啄同時」とは、鶏の雛が卵から産まれ出ようとするとき、殻の中から卵の殻をつついて音をたてます。これを「啐」と言います。そのとき、すかさず親鳥が外から殻をついばんで破る、これを「啄」と言います。そしてこの「啐」と「啄」が同時であってはじめて、殻が破れて雛が産まれるわけです。これを「啐啄同時」と言います。これは鶏に限らず、師匠と弟子。親と子の関係にも学ぶべき大切な言葉です。 <貼り付け終わり> 「啐」とは、雛が内側からつつくこと、「啄」とは母親が殻を外側から破ること、 この呼吸が合わないと子育ては上手くいかないというたとえである。 別なサイトではこのような話が書かれていた。 <貼り付け> 先日のことです。山下公園に向かう途中に大きな噴水があり、丁度「ザー」と水が噴き出しま した。そばにいた男の子が大きな声で、 した。そばにいた男の子が大きな声で、 「おかあさん、おかあさん。見て見て、すごいよ。とってもきれいだよ」 と指をさして言います。すると母親が、 「本当だ。噴水がとってもきれいだね。」と言いながら、親子でその噴水をうっとり眺めていま した。そのときの男の子の笑顔がとても印象的でした。これも親と子の「啐啄同時」です。その ときもし、母親がメールをしていて見向きもしなかったらどうでしょう。それどころか、メール が終われば子供の手を引っ張って帰っていったとしたら・・・。 評論家の芹沢俊介さんは「授乳中も携帯電話のメールに熱中するような“空洞化”した母親が 増えた。『死ぬ』『殺す』と叫ぶ幼児が目立つのも、こうした『いるのに、いない』親の影響が 大きいのでは。」と世相を指摘しています。私も同感です。メールは決して悪いものではありま せん。しかし、時と場合が大切です。子どもが一生懸命に話をしているなら、感動を共有するだ けでいいのです。そこに空洞感はありません。とってもすてきな母と子の姿があるだけです <貼り付け終わり> ところが、この頃の教育現場は、全て「啐」ばかり。 「早く志望校を決めなさい」「将来の人生設計は子供のうちから」「キャリア教育」「将来の夢を持て!!!!」 「どうしましょう、まだ、この子は何になりたいのかわからないのです」「将来のことは子供に任せてあります」 「この子の人生ですから」「第一志望は譲れない」・・・・・・ これらの言葉は、大ざっぱに“子育て放棄”であり、“教育放棄”である。 だいたい、高校生の時代になりたかった職業になっている大人は、何%なのだ。おそらく10%以下。 そもそも、女の子の将来の夢は、「お嫁さん」だっただろうに、何で子供には“職業”なのだ? 「啐」と「啄」はあくまでも「同時」なのである。 (批判を受けるかもしれないが教育現場の実際の話) 大学受験を目の前にした、今頃の受験指導で一番困り果てるのは、“どう考えても医学部に合格することが出来ない医学部志望の奴ら”である。奴らは不思議なことに、出来ない奴であるばあるほど志望を変えない。一生かかっても無理だよ、と言えば言うほど志望を変えない。あげくの果てには、「先生が将来の夢をぶち破るような言動をして、子供の夢を壊した」と文句を言われる始末である。 ところが、日本の医師の現状は、“70%公務員(報酬の7割は税金)”であって、“100%の技術保証”が求められているのである(勤務医の場合、そのほとんどが医師を選ぶことの出来ないシステムである)。だからこそ、医学部の試験は難しいのだ。 だから、本当は医学部こそ、「啐啄同時」でなければならない。 「頭脳が極めて優れてきてしまった子供」が、その頭脳をどうやって使えばいいのか?と考えはじめて来たとき、「それならば、命を救ってあげられる極めて重要な仕事でも、出来るかも」と支援を始める親&教師、この2つの存在がなければ、ホントの医学部志望は生まれない。 「僕は将来何をしていいか判らない?」と悩む子には、「とにかく早く決めなさい」ではなく、「判るまで待てばいいのよ」と言ってあげる親&教師、その関係が、まさに「啐啄同時」なのだ。 ワタシは、腐った宗教ビジネスは嫌いだが、仏教から生まれた言葉は、案外好きである。
by tommyjhon
| 2017-12-08 06:00
| 現代社会の授業
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