主権者教育に関する研究集会 |
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2016年 01月 14日
全国の毒舌ファンの皆さま おはようございます。 Tommyセンセです。 1/14(木) ということで、本日は授業を2時間でさっさと切りあげ、静岡県掛川市にある総合教育センターに行ってくる。センター試験をはさんだこの1月末に、遠方の出張が5つもある。いわゆる「死のロード」だ。 昨年、降って沸いたように、公職選挙法が改正され選挙権年齢が18歳になった。それに続いて、政治活動の制限も18歳まで引き下げられた。簡単にいうと高校3年生の中でも、選挙権を持つ生徒が現れたのである。 この選挙年齢引き下げは、基本的に喜ばしいことであって、高校3年を終えて、晴れて職業人となる者が、所得税をとられ住民税をとられ、しかしながら選挙権がないというアンバランスは解消される。選挙権は、もっとも重要な人権の一つだ。 ところが、この選挙年齢を引き下げることに関して、文科省も総務省もほとんど準備らしい準備をしてこなかった感がある。この引き下げが、長く続く「議論」や「政治運動」に基づくものではなく、現政権のちょっとした人気取りに使われた気配なので、まったく準備期間がなかった。我々現場も“待ってました!”と思ったわけではなく、“えっ、ホントに引き下げちゃったの? どうするの?”という雰囲気の対応をしている。 これまでの間に、文科省が「やっつけ仕事」で作成した副読本はこのようなものである。 最終的な完成版は、今頃、全国の高校生に届けられている、わが校でもセンター直前のこの時期にとりあへず3年生だけには配った。一見して素晴らしい装丁で金がかかっている。文科省は、全国に配布するため370万部を作ったそうだが、こお数字は正々堂々とベストセラー第1位だろう。 ところが、内容はホントにお粗末なもので、前半は総務省主導による、選挙制度の変更点説明、選挙違反の種類などなどのこと。後半が、おそらく、文科省の役人がまとめたであろう「模擬授業」や「模擬投票」などの実践編。 生徒が見ても、私たちが読んでも、何も興味抱かせない内容である。(ホント、見てもらえばわかる) おそらく、総務省サイドから考えれば、選挙権が18歳以上になったことなのに、18歳から20歳の投票率が伸びなければ責任問題になるだろうし、文科省サイドから見ると、「もし、これで投票率が伸びなかったら何を言われるかわからないので、とりあへずアリバイ造り」というスタンスがありありである。 だいたいが、日本の政治経済教育は根本からおざなりにされてきた。政府は1960年代の大学紛争、学生闘争にほどほど懲りたのだろう、日本の若者を政治活動に向けさせようとしてこなかった。大人も、「大学卒業するまでは、政治など考えちゃいかん」という意識が50年続いた。したがって、日本人には健全な政治思想がほとんど醸成されないまま今にいたり、政治に直結する経済学に関しても、“考えさせる”ことをまったく教えてこなかった。 それを、急に「選挙権が18歳になったから、主権者教育をやれ」という。 ワタシには、「とりあへず角が立つから、最初の選挙だけは投票に行ってネ」なるメッセージにしか聞こえない。 本来の主権者教育とは、「人間が自分の政治信条に基づき、確固たる信念を形成し、自分の意志と思考を投票行動に移す」ものだろうに 今の総務省&文科省は、「人間が自分の政治信条に基づき、自分の意志と思考をもとにして」をまったく教えず、「投票行動に移す」ことだけしか考えていない。 そんな若者は、恐ろしくて恐ろしくて仕方がないからだ。 文科省が、「主権者教育」という言葉を使ったことは、「公民」という教科、「現代社会」「政治経済」という科目にとって大きな転換点になる可能性がある。 、今までの「現代社会」「政治経済」の授業や学習内容が、「現象や現状」を教えたことに対し、主権者たる教育に変化するためには、政治や経済が「思想」であり、「信条」であり、「思考」にとって代わるということだ。 まっ、そこまで、文科省が理解しているとは到底思えない。 ということで、何だか、全出席者の前で、一言言いそうである。(誰も止めるなよ!)
by tommyjhon
| 2016-01-14 06:14
| 現代社会の授業
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