「倫理の勉強」とは、こういうこと |
いよいよ来週から本格的に授業に突入。相変わらずの「1年生現代社会」「3年生・政治経済」「ゲリラ講座・倫理」を教えます。そして、4年ぶりに「2年生・日本史」を受け持ちます。
「ゲリラ講座・倫理」とは、文系一流国公立大学に進学するためには、絶対必要な「センター試験・倫理政経」をクリアするために、火曜日の朝に30人程度を集めてひっそりとやっている授業のこと。
ただし、この「倫理」という分野は、ギリシア思想から始まり、キリスト教・イスラム教・仏教、日本の古代信仰、そして、近代の哲学(ルネッサンスからカントまで)現代の哲学(実存主義と構造主義など)、日本の思想家(聖徳太子・空海・最澄・親鸞・・・・・・・本居宣長・・・吉田松陰・・・丸山真男)と、文系人間たちの思想底流を構成する「考え方」のすべてを学ぶ重要な学問である(と、3年前に気づいた)。
だから、時間も人数も少ないが、とても気合いが入る!!!!!!!
でも、本当に理解しなければならないことは、教科書に一切書いていない。そして、どんなに「倫理」を勉強することよりも、たった1ページの文章や1時間程度の会話の中で、発見できる「極意」の方が重要な時もある。
我が師の一人、K藤Y弘氏がフェイスブックに残した以下の文章は、テレビのどんなニュース解説よりも、どんな「宗教入門書」よりも、どんな「授業」よりも、宗教に関しての真実を教えてくれる。
ということで完全コピッペ。じっくり読むべし
<貼り付けはじめ>
クリスマスは,イエス・キリスト生誕の2000年経過した今日,極東の果ての日本にいる異教徒さえもが,わざわざ特別仕様のクリスマスケーキまで用意して祝ってくれるめでたいお祭りになった.
イエス誕生時にはいなかったサンタクロースがコカコーラ社デザインの赤い服をまとって登場し,世界中でプレゼントが交換される.
誕生祝いに比べ,イエスが神の子であり,処刑された後で再び蘇ったことを信じ,それを祝うには信仰が必要だ.
かくして復活祭は,クリスマスに比べたら商業化しにくく地味な印象があるが, クリスチャンにとっては信仰を問われる重要な行事になる.
僕もクリスチャンの端くれ故,復活祭の礼拝に教会に行ってきた.
◇
礼拝中にドネーション(寄付)を集める時,牧師個人が寄付をした人に対し感謝の言葉が述べるが,それは大きな意味をなさない.
牧師は寄付をした人ではなく,神に感謝を伝える.
そのあたり,クリスチャンでないと違和感があろう.
別な一例のほうがいいか・・・
2000年頃か,青森県住宅供給公社に勤務する男が,チリ人女性と結婚し,公金横領して貢ぎ,捨てられた事件があった.
南米女性のあっけらかんな態度に驚いた日本人も多かろうが,あれもアニータが(カトリックの)クリスチャンだと思えば合点がいく.
中南米のブラジル以外の国々は,宗主国がスペインだから,チリもカトリックが主流の国である.
そして,クリスチャンにとって,自然は人間(クリスチャン)によって征服されるべき対象である.
共存したり,感謝するべき対象ではない.
たとえば,牛や豚は,人間に肉の提供をするため神から遣わされたモノなので,牛や豚に感謝するクリスチャンはいない.
11月に北米で行われる感謝祭をみればわかるが,クリスチャンは収穫物に感謝するのではなく,収穫した食べ物を与えてくれた神に感謝している.
人間も同じ.
クリスチャンでないヒト科の生き物は,人間ではないので殺してもいい.
戦争相手として,キチンと宣戦布告され名誉ある有色人種・異教徒国家は日本くらいなものだろう.
アメリカは,ベトナムやイランやイラクやアフガンに宣戦布告すらしていないんじゃないかな.
理由は,ベトナム人やイスラム教徒が人間じゃないからだ.
戦争は人間同士が戦うものだが,異教徒を殺すのに,無差別に頭上から爆弾を降らせミサイルを撃ち込むのは,『人とその他』を区別・線引きしたクリスチャンにとって,さほど良心は傷まない.
さて,そんな異教徒の人間モドキの男が,横領した14億円を自分に貢いでくれたら,アニータは誰に感謝するのか?
そんな便利な『モノ』を与えてくれた神に感謝する !
よって,アニータは,神への感謝を言うことはあっても,青森県住宅供給公社勤務の哀れな男に感謝することはない.
日本から多くの批判がアニータに向けられただろうが,食肉となった豚や牛から批判されて反省する人間がいないように,異教徒から寄せられた批判を真に受けるクリスチャンはいない.
日本人が使う『出会いに感謝』もクリスチャンには意味不明.
万物を信仰の対象にするのもわかりにくいが,ましてや『出会いに感謝』という概念は,クリスチャンにとって異次元の宇宙のファンタジー.
感謝すべきは,出会いではなく,引き合わせてくれた神にである.
それに気づかず,キリスト教国家と外交したり政治的な取引を行うのは,困難さとマヌケな結果が付きまとう.
日本の外交音痴の根本的な原因のひとつはこのあたりにある.
世界を支配者はクリスチャンで,その言語は英語であり,ほとんどのルールを作っている.
これらの支配の成り立ちを理解することが,歩むべき第一歩.
政治家や外交官は,率先して『出会いに感謝』からやめたらいい.