いよいよ、プラザ合意 |
夏休みの後期特脂(8月の補講授業)も残り2日 いよいよ本日はプラザ合意を講義する。
単元は、「戦後の日本経済」ってところで、昨日は「戦後の3大改革」「ドッジラインと朝鮮戦争」「高度経済成長」「石油ショックの70年代」とやった。したがって、本日のお題が1980年代となる。今から35年前のことだが、日本人が全く理解しようとしない、「国際収支」と「変動相場制」がものすごーくよく理解できる箇所なのだ。
そして、プラザ合意が行われたのが1985年9月。中曽根首相、竹下蔵相のコンビであった。
加えて、1985年8月には、日本人が忘れてはいけない、「日航ジャンボ機墜落事件」が起きている。
プラザ合意とは、ニューヨークのプラザホテルで、当時の先進5カ国の蔵相(G5)が外国為替相場を「円高に誘導する」という合意のことだ。
自民党支持者の諸君 現在、安倍首相がアベノミクスと騒いで、ちょっとだけ景気がよくなった原因が円安であることに異を唱える人はいないだろう。その自民党の超大物中曽根康弘(今も存命中)は、その真逆の政策である「円高誘導」をやったのだよ。彼らは、経済がどうなるか判っているのか?しかも、1ドル225円くらいの相場を1ドル120円まで円高にしやがったのだ。
そしたら、日本の工業製品は、ドル換算で約2倍につり上がるのだ。これがプラザ合意なる経済判断なのだ。なぜ、このような合意が行われたというと、当時のアメリカが「貿易赤字」と「財政赤字」という双子の赤字に苦しめられていたので、これを助けるためらしい。たしかに、2倍の円高になれば、日本からの輸入は激減し、貿易赤字は解消するかもしれない。では、「財政赤字を助ける」とは何だ?
ここで、日本人は大きく怒らなければいけない。この「怒り」を実感して欲しい。別に中曽根に怒れとか、Rレーガンに怒れではない。ましてや竹下元総理(彼は、「我、万死に値す」と言い残して死んでいった。すべてを知っていて国民に知らせなかったのである。中曽根はもっと知っているハズ)に怒れということでもない。それは、日本人の「経済学」に関する無知に怒って欲しいのだ。
日本人は、すでに中学生のころから、「市場(しじょう)」とか「均衡価格」とか「アダムスミス」とかを習う。「神の見えざる手」というのも教えられる。ならば、いみじくも、外国為替市場という立派なインターナショナルな“市場”を、「誘導する」とはどういうことだ。
政府が協調して“誘導”するならば、「神の見えざる手によって導かれる相場」を勝手に操作していいのか?
このコトに全く無関心な日本人は、35年経っても全く変わらない。「アベノミクスの円安政策」で日本経済は一息ついたが、円高&円安という尊い“市場の原理”を政策で誘導していいのか?
ある読者の片から、「先生は安倍総理が嫌いですね」と素直な感想を頂いたが、みなさん、もっともっと素直になって欲しい。需要と供給による相場を政府がいじくりまわすことがいいのかわるいのかを?
しかも、プラザ合意は「円高誘導」である。円安でホッとした日本人の財界人さん。円高に誘導した日本人集団をなんで支えるのだろう。円高誘導は亡国の極みであったはずだ。
しかししかし、プラザ合意の奇っ怪さはこれだけでは済まされない。円高に誘導するってことは、それ以前は円安であったということである。1980年代前半は見事な円安であった。
ここで、世界経済(日本経済)のおさらいをしておく、ご存じ1960年代は高度経済成長時代であり、日本は大いに繁栄した、しかし、1970年代に入り、ニクソンショック(円の切り上げ)か変動相場制に移行(1973年)、第一次石油ショック(1973)からの狂乱物価+スタグフレーション、1979にはまた第二次石油ショックという激動が続く。その中でいち早く経済を立て直したのが日本である。日本は「産業構造の転換」をいち早く成し遂げた“重厚長大”型産業から“軽薄短小”型産業での転換である。シビックやウオークマン、ファミコンなどがその象徴である。日本にいると案外気がつかないものだが、1970年代の終わりから1980年代初めにかけて、日本の省エネ技術は、世界最高水準でありどこの追随も許さないものだった。冷蔵庫の裏にあった放熱版がなくなったり、日本家屋の完全蛍光灯化に成功したのもこの頃である。1980年代のはじめに、居間の電気が蛍光灯だった国は日本しかない。他は白熱電球である。
だから、1980年代、日本製品が世界市場で売れに売れたのである。メイドインジャパンは世界のあこがれの的であったのだ。・・・・・・・さあ、ここでこの疑問に気がつかねばならない。日本製品が売れるつまり輸出が増加すると変動相場はどうなるのか? これは高校の教科書にも普通に出てくる基本的事項である。この考え方はこうだ。例えばアメリカで自動車一台を売る。アメリカ人はもちろんドルで支払う。日本企業はそのドルを円に替えなければ日本の社員に給料が払えない。つまり、ドルを円に替える(ドルで円を買う)と円需要が高まるので円高になる。という自然の法則が成り立ち、輸出が増加すると円高になるという経済法則が導きだされる。それでは、プラザ合意以前の外国為替市場は、1ドル225円 これが、相対的な円高と思う人は誰一人いない。そうこの相場は、極めて円安相場である。輸出が増加する(これをは貿易収支の黒字と同じ、経常収支には貿易収支が含まれる)と円高になるはずであるのに、1980年代前半は円安であった。なぜだ?
ここで登場するのが、国際収支である。国際収支とは、経常収支と資本収支に大別され、基本的にプラスマイナスゼロとなる。(日本人諸君、経済を勉強するときに、このプラスマイナスゼロ感覚は磨いておいた方がいい)
例えば、貿易で黒字(輸出が増加)が増えると日本でドルが貯まる。ドルは日本で使えないから、ドルをアメリカの銀行に預ける(金融商品に替える)、この場合、輸出が増えることを経常収支の黒字といい、アメリカの銀行に預けることを、資本収支の赤字という。だから、この黒字額と赤字額は同じになる。そこで、アメリカの預けたドルを日本向けに円に替えると“円高”になるというわけだ。したがって、経常収支(貿易収支)が黒字の国が、資本収支も黒字であることはありえないのであり、経常収支が赤字の国は資本収支が黒字になるのである。
(この頃の新聞は、日本の貿易収支が赤字とか、経常収支が赤字とか騒いでいるが、全く無意味なのだ)。つまり、変動相場制というのは、貿易と資本(お金そのもの)の取引額によって市場が形成されるものである。“自動調節機能”がついているのだ。
だから、1980年代前半は、為替相場が円安であったということは、日本が、輸出額以上にさっさと円をドルに替えていたことであり、そのドルをアメリカの金融商品に替えて運用していたのである。そうでなければ、貿易が黒字なのに円安にはならない。では、日本人がばんばんドルに替えてせっせと買っていた金融商品とは何か
それが、もうこのコラムに書いてあることだ。日本人は、ばんばんアメリカ国債を買っていたのだ。つまり、日本人は貿易の黒字分以上のお金でアメリカ国債を買い続けてきたのである。つまり、アメリカ経済の「双子の赤字」とは、「日本の貿易黒字と、アメリカ国債買い」とイコールなのである。
さてさて、ここの時点で、プラザ合意“円高誘導”をもういちど考えよう。もし日本人がアメリカの銀行に1億ドルの預金(アメリカからすると借金)があったとする。
これは、2倍の円高で、どのような価値になるのか、1ドル225円の時は225億円、ところが1ドル120円の時は120億円 なんと日本人が海外に持っておる金融資産は半分の価値しかなくなったのである。
つまり、プラザ合意とは、円高に誘導して輸出を不利にさせるだけではなく、日本の海外資産の価値を半額にさせたのだ。しかも、日本の首相と大蔵大臣が合意して!!!!!
これを属国と呼ばずして何という!!!!
でも、この最悪のプラザ合意も、その後に起きるバブル経済(という高景気)によって見事にかき消されたしまったのよね。
ではなぜバブル景気が起きたのかは、また次回に。
今回は、来年から「公民」の先生となる教員の卵達への伝言だと思って書きました。これをしっかり伝えられますか?