2013年 10月 07日
なぜ、玉入れが運動会の種目なのか? |
ということで、全国54万人の毒舌ファンの皆様 おはようございます。 Tommy先生です。
一昨日、昨日と、全国では運動会の当たり日だったようだ。まずは、天候に恵まれてお疲れ様ンサ。前回のブログでアップしたように我がS水東高校でも、先週の木曜日に「体育祭」が行われた。
体育祭の季節になると、授業で必ずテーマにするのが、「運動会になぜ玉入れがあるのか」である。高校生レベルでは全く解答が得られない。つまりは、小学校・中学校レベルでは、そのような教育は、何も行われていなかったようだ。同じような話は、「なぜ、サッカーのスローインは両手で行うのか」という問いに、サッカーパーソンが答えられないに等しい。
教科「体育」のテストがもう高校ではほとんど残っていない。ワタシが教員になってから一度も見たことがない。ただし、ワタシが高校生の頃はあった。確かに「体育」のペーパーテストが存在した。それは、ほとんど受験とは関係ない知識ではあるが、「体育」に関する知識・考察・意見は、誰もが持ち、誰もが正しく共有するべきだとは思う。
先ほどの、問いの答えは、サッカーのスローインがなぜ両手で投げ入れるのかといえば、サッカーのスローインは、歴史的に何回もルール変更が行われ、片手でのスローやキックインが試みられたことがあったが、ボールが飛びすぎてサッカーとしての面白さにかけると判断されたからである。ここで、人間は、「ホモルーデンス」(遊技人)としての本質、つまりは、よりゲームを面白くするためにルールを作るということに触れる。ルールより面白さの方が大切なのだ。
そして、「なぜ、玉入れがあるのか」の答え。これは、何もワタシが考察したのではない。日本には、玉木正之氏という素晴らしいスポーツライターがおり、
氏がもう20年くらい前に書かれたコラムを覚えていて、それを記しているだけである。玉木正之氏の渾身の一作は、もはや絶版になった「プロ野球大辞典」(新潮文庫)
で、これも30年前くらいの著作であるが、今でも色あせない。
さて、玉木先生の説によると、明治黎明期の日本の学校教育は、町や村で競って校舎は建てたものの、グラウンドを配置するという思想がなかった。したがって、教科として体育(軍事教練気味の)が設置されると、その実施場所に困るようになる。そこで目をつけたのが、村の鎮守の森であって、簡単にいえば神社の境内だ。黎明期の小学校の体育は神社の境内で行われたのである。したがって、神社の祭礼と体育が混合することは必然であって、神社の祭礼のときに、そこでおこなれている「体育」の披露をすることになった。だから、今でも、運動会には、村のお祭り的ムードが必然と醸し出されており、家族揃って出かけ、家族揃って食事をする。しかも、その食事は、「ハレの日」にちなんで、重箱に入り、お寿司や桜でんぶで華やかにこしらえたものだった。むしろ、運動会にお父さん達が校庭でビールを飲むことは不謹慎なものでなく、当然の話である。
したがって、神社の祭礼と合体した運動会には、当然のように「体育にはかけ離れている競技」が存在する。「玉入れ」「棒倒し」「騎馬戦」「綱引き」である。これらは、明らかに「神事」であって、今年の収穫を祈り、五穀豊穣・国家繁栄を祈るものである。 どう見ても、「玉入れ」は稲穂が実をつけ頭を垂れる姿であるし、棒倒しは、稲刈りの様子を表している。「騎馬戦」や「綱引き」は、古来の国盗合戦の風景を牧歌的に見せるものである。小学校で行われる騎馬戦と、浅間神社での流鏑馬祭りは、原点が同じなのである。
ワタシは、もちろんこのような行事を大切にしていきたいと願う一人である。体育祭を運営する側の大変さ十分知っているが、やはり「運動会」は運動会であって欲しい。
ワタシにとって運動会の原点は、富士第一小学校の運動会であった。当時(昭和48年頃、ワタシ10歳)は春に小運動会、秋に大運動会と2回も行われていた。もちろん神社の「田植えの後に五穀豊穣を願う春の大祭」と「収穫を感謝する秋の大祭」に合わせてのことだろう。別に運動神経がよくもなく、カラダも当時からタダブ「ついていたので、運動会は得意ではなかったが、あのふわふわした祭りっぽい雰囲気は大好きだった。
その富士第一小学校の運動会で歌う歌が、「創立記念歌」であって、今記した、小学校黎明期の村と小学校の関係が上手に歌詞に刻まれている。
「そびゆる峰 芙蓉 ・・・・・・」「加島の郷 五千石・・・・・・」 と断片は出てくるが、全部はもう歌えない。グーグルで検索しても歌詞は見つからなかった。
今、50歳に近づき、「老人の戯言」のごとく高校生に説教するのはどうかと思うが、「運動会」に関しては、語り続けていきたい。
一昨日、昨日と、全国では運動会の当たり日だったようだ。まずは、天候に恵まれてお疲れ様ンサ。前回のブログでアップしたように我がS水東高校でも、先週の木曜日に「体育祭」が行われた。
体育祭の季節になると、授業で必ずテーマにするのが、「運動会になぜ玉入れがあるのか」である。高校生レベルでは全く解答が得られない。つまりは、小学校・中学校レベルでは、そのような教育は、何も行われていなかったようだ。同じような話は、「なぜ、サッカーのスローインは両手で行うのか」という問いに、サッカーパーソンが答えられないに等しい。
教科「体育」のテストがもう高校ではほとんど残っていない。ワタシが教員になってから一度も見たことがない。ただし、ワタシが高校生の頃はあった。確かに「体育」のペーパーテストが存在した。それは、ほとんど受験とは関係ない知識ではあるが、「体育」に関する知識・考察・意見は、誰もが持ち、誰もが正しく共有するべきだとは思う。
先ほどの、問いの答えは、サッカーのスローインがなぜ両手で投げ入れるのかといえば、サッカーのスローインは、歴史的に何回もルール変更が行われ、片手でのスローやキックインが試みられたことがあったが、ボールが飛びすぎてサッカーとしての面白さにかけると判断されたからである。ここで、人間は、「ホモルーデンス」(遊技人)としての本質、つまりは、よりゲームを面白くするためにルールを作るということに触れる。ルールより面白さの方が大切なのだ。
そして、「なぜ、玉入れがあるのか」の答え。これは、何もワタシが考察したのではない。日本には、玉木正之氏という素晴らしいスポーツライターがおり、
氏がもう20年くらい前に書かれたコラムを覚えていて、それを記しているだけである。玉木正之氏の渾身の一作は、もはや絶版になった「プロ野球大辞典」(新潮文庫)
で、これも30年前くらいの著作であるが、今でも色あせない。
さて、玉木先生の説によると、明治黎明期の日本の学校教育は、町や村で競って校舎は建てたものの、グラウンドを配置するという思想がなかった。したがって、教科として体育(軍事教練気味の)が設置されると、その実施場所に困るようになる。そこで目をつけたのが、村の鎮守の森であって、簡単にいえば神社の境内だ。黎明期の小学校の体育は神社の境内で行われたのである。したがって、神社の祭礼と体育が混合することは必然であって、神社の祭礼のときに、そこでおこなれている「体育」の披露をすることになった。だから、今でも、運動会には、村のお祭り的ムードが必然と醸し出されており、家族揃って出かけ、家族揃って食事をする。しかも、その食事は、「ハレの日」にちなんで、重箱に入り、お寿司や桜でんぶで華やかにこしらえたものだった。むしろ、運動会にお父さん達が校庭でビールを飲むことは不謹慎なものでなく、当然の話である。
したがって、神社の祭礼と合体した運動会には、当然のように「体育にはかけ離れている競技」が存在する。「玉入れ」「棒倒し」「騎馬戦」「綱引き」である。これらは、明らかに「神事」であって、今年の収穫を祈り、五穀豊穣・国家繁栄を祈るものである。 どう見ても、「玉入れ」は稲穂が実をつけ頭を垂れる姿であるし、棒倒しは、稲刈りの様子を表している。「騎馬戦」や「綱引き」は、古来の国盗合戦の風景を牧歌的に見せるものである。小学校で行われる騎馬戦と、浅間神社での流鏑馬祭りは、原点が同じなのである。
ワタシは、もちろんこのような行事を大切にしていきたいと願う一人である。体育祭を運営する側の大変さ十分知っているが、やはり「運動会」は運動会であって欲しい。
ワタシにとって運動会の原点は、富士第一小学校の運動会であった。当時(昭和48年頃、ワタシ10歳)は春に小運動会、秋に大運動会と2回も行われていた。もちろん神社の「田植えの後に五穀豊穣を願う春の大祭」と「収穫を感謝する秋の大祭」に合わせてのことだろう。別に運動神経がよくもなく、カラダも当時からタダブ「ついていたので、運動会は得意ではなかったが、あのふわふわした祭りっぽい雰囲気は大好きだった。
その富士第一小学校の運動会で歌う歌が、「創立記念歌」であって、今記した、小学校黎明期の村と小学校の関係が上手に歌詞に刻まれている。
「そびゆる峰 芙蓉 ・・・・・・」「加島の郷 五千石・・・・・・」 と断片は出てくるが、全部はもう歌えない。グーグルで検索しても歌詞は見つからなかった。
今、50歳に近づき、「老人の戯言」のごとく高校生に説教するのはどうかと思うが、「運動会」に関しては、語り続けていきたい。
by tommyjhon
| 2013-10-07 06:00
| 現代社会の授業
|
Comments(0)