tommy先生の「世相を斬る」
2024-03-19T05:44:01+09:00
tommyjhon
現役の高校教師が左遷覚悟の政治経済批評
Excite Blog
還暦老人「かるた部顧問となった時」を語る
http://tommyjhon.exblog.jp/30860063/
2024-03-19T05:44:00+09:00
2024-03-19T05:44:01+09:00
2024-03-19T05:44:01+09:00
tommyjhon
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ということで、好評連載中の思い出を語るの記。
ここからは、競技人口的にみると相当マイナーな競技である、「小倉百人一首かるた競技」(略して競技かるた、ただのかるた)に関する記述が多くなる。無関係な読者の方が圧倒的に多いかもしれないが、そもそもワタシがHP(ホームページ)を始め、途中からブログに移行しながらもかれこれ20年間もキーボードに文章を打ち込んでいるきっかけは、「全国の富士高かるた部のOBOG達に、現役部員の活躍を伝えたい」との一念であった。なのですべてが関連付けられるものであるから仕方がない。
ワタシは富士高かるた部の第12代目の部員であって、当時の静岡県立富士高校かるた部は、名実ともに日本一のかるたクラブだった。昭和の時代、高校でかるた部なんて活動が全国的にそれほどあるわけでもなく、富士高の目標は、全国職域学生かるた選手権大会(職場のチームや大学生チームを相手にする団体戦の全国大会)であって、この大会に10回優勝していた。在学中に「全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会」なるものが設立され、大会運営するかるた会の重鎮たちは、この大会を「畳の上の甲子園」と位置づけようとしていた。今や、どの業界でも存在する“●●の甲子園”という名称の嚆矢となった大会でもある。この全国大会の第一回大会は私が高校1年の時に初めて開催されたが、その時の参加校はわずか8校、参加するだけで全国大会ベスト8だったのである。どれだけマイナー競技かお分かりだろう。結局、静岡県立富士高等学校はこの大会で初回から10連覇を果たすことになるのだが、この連覇を阻むのが、これから登場する(今はなき)静岡県立長泉高等学校だったのである。 (ネットで拾った今は亡き長泉高校)
さて、時計の針を逆戻りさせて初任高であった下田南高校3年目の3月に話を戻す。ワタシ達夫婦(この時はまだ結婚していないけど)は揃っての転勤を希望した。相方は養護教諭であって、高校では必ず1名いる保健室の先生である。どこにでも需要がありどこでも仕事が出来る。我々教員は、「部活動の指導がしたい」と考えて教員になる者が半数以上存在し、その部活を指導することが教員生活何よりも大事なことだった。今やこの比率がどんどん低下して、部活拒否の教員の方が多いくらいなのだが、ワタシが採用された時代はバブル真っ盛りで他の仕事もうじゃうじゃあり、初任給も数段高かった。ではなぜ高校教員なのか?この答えを部活抜きで探すのは困難である。高校に戻りたいのではなく、部活に戻りたかった。これから何回もでてくるが、富士高校百人一首部はそれほど魅力的であったのだ。
ワタシは、当然、(実際は沼津商業なのだけれど)富士高校に転勤するものとばかり思っていた。その理由は、全国選手権連覇中とはいえ、当時富士高校は、創部から10年以上率いてくれた指導者(これが栗栖先生)が転勤されて以来、本格的に競技かるたを指導できる教員が母校に赴任していなかったからである。ワタシはもちろんそのことを自覚していた。したがって、うちの奥さん(当時はまだ婚約中?)が富士からそれほど遠くない場所であったら嬉しいなあ????と想像していた。
ワタシの先輩で、本格的に競技かるたを指導していたのは4つ先輩の嶋先輩(現、静岡県かるた協会会長・元某F宮西高校校長)だが、嶋先輩は一足早く、競技かるた部のある長泉高校で指導を始めていた。この長泉高校とは、静岡県東部地区の長泉町(現在は移住したい町のベスト10に輝く、三島駅近隣の町)に新設された高校で、恩師栗栖先生(もうイニシャルトークでは混乱してしまうので本名)が学校創設以来関わっていた高校である。栗栖先生がかかわるのならかるた部が出来るのは当たり前だ。栗栖先生の偉業は一冊の本にまとめられるべき多さであって、その一つが、「転勤された学校でかるた部を作りまくった」ことである。沼津市立高校・富士高校・沼津東高校・(元)長泉高校と創部しまくり、次の転勤で教頭先生になっていった。(ここからはさすがに無理)。
(元)長泉高校は、栗栖先生が創部され嶋先生が2代目顧問となっていたのである。
ところがだ、下田南からの転勤で、2人に渡された辞令は驚愕のものとなった。転勤するはずの富士高校の養護教諭に女房(まだ結婚していないけど)がなり、ワタシが沼津商業というのである。
「えっ?」
「あっ あっ そうなんだ」
結果的に奥さんの勤務校(沼商時代に結婚した)となった富士高校は、我が家においてもかけがえのない高校となり、長男は「養護の先生に初めての赤ちゃん!!!!!」という見出しで富士高新聞(これも有名、一時期私が顧問を務めたこともある)に載せてもらった。その後、彼は富士高校に進学することになる。この長男アロー君は、高校入学もしていないのに富士高の内情を良く知っているマセたガキに成長していった。次男殿も「養護の外山先生に2人目の赤ちゃん!!!!!!」となって富士高新聞に載せてもらった。次男殿は、我が家での会話で多くなった「八木話」(ワタシが富士高時代にともに勤務した、伝説の野球部監督にまつわる話)の影響を受けて高校野球で甲子園を目指すことになる。
そしてワタシ。沼津商業時代、剣道部を任されていた。もともと他の部活(競技かるた以外)に興味のないワタシが、部活指導に熱がはいるわけなどなかった。しかも、長い経験がものをいう武道の世界である。部活には他の若手教員と比べて没頭できずにいた。剣道部の顧問といえど道着を着ることもなければ面や胴をつけることもなかった。当然、中学生を勧誘することもなく、中学から志望されることもなく、(昔はインターハイにも行っていたらしい)沼商剣道部は弱体化していった。沼商にワタシのいる場所はない。
そんな悶々とした日々を送っていた3年目(3年とは移動できる最低期限で、3年たつと移動の対象になる)、嶋先生からは強烈なオファーをもらっていた。「長泉高校で一緒に顧問をやろう!!!!!!」
これは、ワタシにとって魅力的な誘いだ。だって、夫婦は同じ学校に勤務できないというルールがあり、その時点で競技かるたを指導できる学校は、沼津東か長泉高校しかなく、誘ってもらえるのは幸せの極致だったのだ。
3年目の冬、周りには黙って“転勤希望”を書いた。当時は20代の若手教員であって、1年生の担任をしていた自分を、周りの同業者たちは「転勤できるはずがない」と思っていただろう。ここでの転勤は裏切り行為である。ワタシもそんなことは無理だろう。転勤できるわけがないと確信していた。
ところがだ、いざこの時期(本当に3月中旬の今の時期だ)に校長室に呼ばれ、「長泉高校に転勤だよ」と告げられる。
これは、相当な力学が働いたのであろう。噂には数々上がり、業界中枢部では当然のように行われ、ただし誰も存在を公的には認めていない、あの「人事上の力学」という作用に違いなかった。ワタシは、“引っ張られた”のだった。
後日、恩師栗栖先生(教育業界中枢の人になっている)からは、「あの時は、相当強引だったなあ」「K先生(当時のN高校校長)も思い切った手を打ったなあ」とだけ言われたことがある。
そうして沼商を逃げるように飛び出し、念願の(かるた部のある)長泉高校に転勤する。しかも、先輩の嶋先生も一緒だ。一番いい形の若手指導者として迎え入れられた。新設の長泉高校は若手教員の数も多く、教員間のお付き合いも楽しかった。
さて、そんな形で競技かるたの世界に復活したワタシは、恒例の4月29日、さがみの大会A級にエントリーし、顧問としてだけでなく競技者としても復活する。別にそれほど強い競技者ではなかったが富士高かるた部出身者としてワタシの顔をしっている方は多かった。(なにせ、競技人口の少ない世界なので)
このさがみの大会の1回戦の相手が東村亜子さんだった(長泉高校OGで、長泉高校を2度目の全国優勝に導いた伝説の名選手)。これも何かの縁だなあ。
さて、このさがみの大会で大きな出来事が起きる。
部活動にそれほど熱心でなかったワタシは、常に遊びのことばかり考えていた。得意はスキーを代表とするアウトドアで、スキーのオフシーズンには、マウンテンバイクも2台そろえ、カヌーも手に入れていた。
マウンテンバイクはこのタイプ(ヤフオクの画像を拝借)見出しは)90年代のオールドタイプとあった。
このカヌーも購入していた。
長泉高校かるた部の引率第1回目、赴任してすぐのさがみの大会。生徒は三島駅から電車に乗り藤沢駅で小田急線に乗り換えて会場に向かう。ワタシは、住んでいた(富士高の教員住宅)場所から、このマウンテンバイクに乗って富士駅まで向かい、三島駅で生徒に合流した。
かるたの大会は勝ち続けると帰りが(異様に)遅くなり、その日も、富士駅に着いたのは11時ごろだった。
そして、駐輪場に行ったが、肝心のマウンテンバイクがない。チェーンをつけたはずなのにマウンテンバイクがない。交番の人は、盗難届を受け付けてくれながら「このタイプは人気がありますからねえ」と半ばあきらめ顔で淡々と盗難届を受け取った。
こうして、かるた部の顧問生活に入るとともに、「お気楽レジャー教員」の夢を捨て去ることになる。
マウンテンバイク(15万くらいした)もそうだが、カヌー(30万円した)からも離れざるをえなかった。
そうして、家庭での子育てを無視した「部活だけの教員人生」が始まることになったのだ。
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還暦老人生徒指導を語る
http://tommyjhon.exblog.jp/30858564/
2024-03-18T05:50:00+09:00
2024-03-18T05:50:28+09:00
2024-03-18T05:50:28+09:00
tommyjhon
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ということで、時間が空いたけれど、教員人生を振り返るの記。
下田南高校定時制教員を3年やったのち、縁あって静岡県立沼津商業高校へ転勤することになった。結果的に、沼商には3年間しか在籍せず、しかも、副担任→3年担任→1年担任と、途切れ途切れの仕事になったので、それほどの思い入れもないまま去ることになった。現在の学校で当時の生徒だった子が母親となって、その子供とは3年間過ごしたのが救いだ。
3年目に突如、政治決着のような形で転勤したので、誰からも祝福されなかった。クラスの生徒はそのまま残し、残った教員からは白い目で見られた(と感じた)。離任式後の送別会も笑うことはできずに(逃げるように)去って行った。転勤した理由は次回になるだろうが、惜しまれない転勤は二度としたくない、と決意したし、転勤は内緒でしてはいけないとも思った。事実、その後の転勤は明快に“転勤します!!!!”と振舞った。
沼商で勤務していた頃、嵐のように平和な学校を襲ったのが、ルーズソックス旋風である。
今となってよく考えると、なぜこんな反機能的な靴下が流行したのかよくわからない。しかし、平成の始まりのころは圧倒的に女子高生の心をつかんでいた。しかも、ルーズソックスには短いスカートがつきものなので、女子の“タンスカ”も同時流行だった。
そして、教員と高校生の、服装指導追いかけっこが延々と続くことになっていった。
当時、服装指導(生徒指導)が、しっかりできる先生は(先生内部の評価として)「いい先生」であって。違反の服装をしている生徒を、ほったらかしにしているとダメ教員とされた。
「生徒の指導もできないで、何が先生だ・・・・・・・」という悪口・陰口がどこからも聞こえてきた。
ご想像通り、ワタシは生徒指導も服装指導も好きではない。そもそも生徒を型にはめることも好きではないし、生徒が教員の指導で心を入れ替えることはない、と思っている。
ワタシの服装指導基準で言えば、その服装が、「似合っているか否か」「お洒落か否か」「TPOに沿っているかどうか」が服装の規準であって、制服の着こなしがキレイだったらそれでいいと思う。ルーズソックスで言えば、この靴下は、人間の美しい曲線の一つであるふくらはぎからくるぶしのラインを隠すので、美しいラインを持っている女性にはむしろマイナスである。との結論である。
このような信条なので、服装指導などやりたくもない。この当時、同じことを思っていた教員は多くいたと思う。服装指導をしている理由は、先輩教員に怒られたくないし、陰口をたたかれたくもないからであって、服装を指導すれば生徒が成長するとは微塵も思っていなかった。
しかも「服装の乱れは心の乱れ」などという、厄介なキャッチコピーで学校が飾り付けられていた。
そもそも若者の心はいつも乱れているものであって、服装が乱れている生徒は、自分の内面の心の乱れを素直に表出している“いい生徒”である。形だけにこだわって人間を決めつけるものではない、と思うのが普通の人間だと(内面では)反発していた。
この服装指導に何しては、もちろん賛否両論があり、当時、服装指導に教員生命を賭けているようなオーラを醸し出している先生も少なからずいた。そして、その先生の心は純粋であったと思う。とにかく制服をしっかり着用させるのだ、という信念に盾突くことは出来ない。加えて、服装指導をしっかりしている先生って、本当に教員らしい。この立派さを否定できるものでもない。でも、教員になった当時から抱いていた違和感は、今でもなくなることがない。
こんな生活をしている(自分の気持ちとは裏腹に生徒を押さえつけるような指導)と、体の変調をきたしてしまうぞと感じた時でもあった。
今の生徒たちは本当に大人しくなり、服装の乱れとかで指導をされる生徒は極端に減った。学校の偏差値レベルの話ではない、(昔は、荒れているという評判がたった)頭のデキの悪い学校から、多少勉強が出来る学校のすべてで、生徒は大人しくなった。これは極論だが、生徒が大人しくなったのと日本が衰退していく流れは一致している。他にも思い当たる節がある。今の生徒たちは、運転免許をとることにさほど関心を示さなくなった。バイクにも乗りたくないらしい。様々なことに対する欲望の塊(異性と付き合いたいとか、スピードを追求したいとか、金持ちになりたいとか・・・・)であるはずの若者はどことなく大人しくなった。
教員が、生徒を型にはめる指導をくりかえしたばかりに、こんな日本になってしまったとはいえないか????(あくまでも還暦老人の回顧録ね)
今、生徒の中には、「社会福祉」について勉強したいと思う子供たちが一定数存在し、その類の分野を学ぶ学部・学科も存在するのだけど、こういう生徒や学部学科があることすら違和感を覚えてしまう(他に興味はないのかよ?)。
いやいやながら生徒指導をする時代を懐かしむわけではないが、生徒をとことん従順にさせた日本の教育には賛成できない。
別に当時の沼商を否定するわけではない。そういう時代だったのだ。
次回は、逃げるように転勤した顛末について話します。
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教育コングロマリットB社
http://tommyjhon.exblog.jp/30854695/
2024-03-15T05:40:00+09:00
2024-03-15T05:44:14+09:00
2024-03-15T05:40:01+09:00
tommyjhon
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ということで、好評につき連載中の自伝っぽい文章を棚に上げて、昨日の慰労会報告。
社内にも読者が多いとのことなので、公開で御礼<m(__)m>
定年の慰労会をしてくれたのは、日本一の教育コングロマリットであり、“シマジロウから墓場まで”で日本人の教育を厚かましいまでに世話をするBネッセ社の歴代担当者さん達。
計3人の方が、本拠地名古屋(支社)からわざわざ富士に駆けつけてくれた。
ここまで準備してくれて本当にありがとうございました。
時々、Bネッセ社のことを学校で「癒着」と表現されるけど、ワタシにとっては、よき戦略パートナーであって、よき戦友。友達(戦友)なんだから、自民党安倍派のような裏でドロドロとしたやりとりは絶対にない。
いつも、担当者殿と、このデータは使えるのか使えないのか、この教材は使えるのか使えないのか、それだけをディスカッションしていた。戦略パートナーなんだから、勝てる武器になるものはすぐにいただく。
使えないと判断したら使わない。
ワタシは、B社のクラッシーという総合ITシステムを使えないと判断して導入しなかった。GTECという英語能力検定も“少し危険”と判断して使わなかった。(どちらも正しいと思う)
使えそうだと思うと使う。
B社の面々には、今後教材として伸びそうなのは、オープンチャット機能だよ。さりげなくアドバイスした。
年の差は30歳以上もある奴らだけど、友情によって結びついているのさ。
今のB社にそれほど文句はないが、あえて言わせてもらうのなら、未だに教育営業担当は男ばかり。男女共同参画社会とはかけ離れている職場でもありました。某ライバルRクルート社のスタディサプリの担当は、大谷翔平の奥さんばりの美人。
・・・・このままいくと負けるよ。
ワタシは再任用で、某●●●高校に来年お世話になることが決まったので、「そこんところヨロシク」
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還暦老人下田南校からの沼商時代を語る
http://tommyjhon.exblog.jp/30853227/
2024-03-14T05:36:00+09:00
2024-03-14T05:37:00+09:00
2024-03-14T05:37:00+09:00
tommyjhon
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ということで、ヒット数を見る限り“好評につき続編”。
定時制勤務で始まった教員生活をなんとか全日制勤務に戻そうと定時制生活3年目迎えた。教員は最低3年は同じところで勤務しなければならない掟があるので、その最低年数はここでクリアできる。しかも、当時は大きな味方もいてくれて、彼女(今の奥さん)も、隣の学校で3年目を迎えていた。同時に転勤させてもらわないと結婚できない!!!!!と2人で訴えれば何とかなるだろう。
そんな3年目に、「人生の師匠」ともいうべき偉大な人物が定時制の教頭として赴任してくる。
故北山家麿先生だ。名前から察して欲しいが、伊豆半島東海岸のある神社の神主さん(兼職中)である。今、ワタシが勤務している伊豆中央高校から転勤でやってきた。最後の教員生活を伊豆中央高校で迎えるのも何かの縁だなあと感じている。故北山家麿先生には、結婚式の仲人(なこうど、昔は結婚式を挙げる場合は形式的にもお仲人さん夫妻を立てなければならなかった)もやってもらった。この北山センセ、部下の作った書類をほとんど見ない。教員とて官僚の端くれなので、いろいろな報告書の類を、ハンコとともに回して提出しなければならない。今までの教頭先生は、我々若手教員が作成した文書類に細かく目を通してハンコを押したけれど、北山先生は、完全にメクラ判(差別用語として禁止られていますが、文書の芸術性や伝統に配慮して使用を許可します)である。教員生活2,3年の若造が作る書類なんて、ミスが多いのは当たり前なのだけれど、北山先生はほとんど見ない。勇気を出して、「なぜですか」と問うと、
「俺が細かくチェックすると、若い奴が怠けるから、人間が育たないんだ。県教育委員会に謝るのは結局俺(教頭)だから、育てるためには見ない方がいいんだよ」と話してくれた。我々若造教員は、背中がゾクッとなり、背筋が伸びた。結果的に(人生様々なことがあって、教員として管理職にはなれなかったが)この姿勢が晩年のワタシを貫くことになった。教員って信用することが一番の仕事であって、その責任は、信用すると判断した自分にだけなんだ。
ただ、北山先生が書類を見ないのは、毎日が二日酔いだったことが原因かもしれない。
今は、もう時効なので、話してもいいだろう。お酒が強かったワタシは、定時制勤務後北山先生に誘われることが多かった。同じ社会科の教員でしかも(ワタシも)生意気だから話題に事欠かなかったからだろう。当然、下田駅前で一杯飲むことになり、北山先生は電車に乗って伊東まで帰るのである。その内、幾度かは一緒に終電に同乗する。伊東の行きつけの寿司屋(スナックとかも)に行くのだ。どうせ次の日も午後から勤務なので、全然大丈夫。
ある日、ある時、故北山先生が、伊東駅から自家用車で家に帰ると言い出した。もちろん、酔っぱらっている。どうやら次の日に自動車を使う予定があるらしい。「飲酒運転だから止めましょう」とワタシは先生を諭した。でも、先生は言うことを聞かない。諦めて先生の車に同乗して帰ることにするが、何と発車した直後から後ろをパトカーがついてくる。同じスピードでずっとついてくる。とうとう家の駐車場まで付いてきた。この場合、飲酒運転の北山先生は捕まるが、ワタシはどうなるのだろう?そんなみみっちいことを考えていたワタシは急に恥ずかしくなった。
「北山先生ですね。伊東警察の〇〇ですね。●●高校の時にお世話になりました」「先生が事故を起さないように自宅までパトロールしておりました」「では、これで失礼します」と警察官は挨拶して去って行った。北山先生は「おおっ、ありがとさん」とだけ答えた。
そしてワタシは、こういう先生にワタシもなりたいと思ったが、こういう先生は二度と現れず、他の人は絶対にこういう先生になれない。と考え直した。
その後30数年、北山先生を超える管理職に最後まで出会うことはなかった。
ということで、その3月にお目出度く私たちは2人そろって転勤を果たす。定時制という仕事場以外は楽しかった下田から離れることになった。
転勤先は、彼女(今の奥さん)が、県立富士高校で、ワタシが沼津商業高校だった。
県立富士高校というのは、ワタシの母校である。したがって、ここからちょっとややこしい人生も始まることになる。
この富士高校という学校が、教員生活に相当な影を落とし、その数倍の光を当ててくれた学校であって、小学校時代にプールで遊び、中学校時代に文化祭に行き、現役高校生活を3年間過ごし、女房(ついに結婚したので)が2度の産休育休を含めて10年間過ごし、その後転勤した私が12年間過ごし、息子の一人が3年間過ごした学校である。
静岡県立富士高等学校 - Wikipedia
ワタシは、富士高校の看板部活である百人一首部の第12代目の部員であった。
今回は、下田南高校から沼津商業に移る時の話なので、百人一首部(競技かるた)の話を除く。
沼津商業に転勤すると、そこでとんでもない人物と出会うことになる。今日の最後は、この思い出話。
Youtubeに張り付けたのは、あの富士高体操だ。このヴァージョンは、ワタシの親友、倉藤理大先生が編曲をし直して原盤を忠実に再現したものなので、昔、生徒としてテープの伸びきったバージョンで練習した世代には違和感があるかもしれない。ただし、この富士高体操の出だしは、富士高OBOGならば絶対に覚えているだろう。
「創作 斎藤正雄 作曲 望月桑太郎 全員 気を付け・・・・・・・」で始まる 最初の部分である。
私が転勤した沼津商業に、サイトウマサオという体育の先生がいた。もうすぐ定年を迎えるベテラン先生だが、何となく私に優しくしてくれた。好好爺風の大人物でどの若手教員からも慕われており、宴会の中心人物だった。
転勤当初から、ある疑問を持っていた私は、ある日、そのことを勇気を出して聞いてみた。
「サイトウマサオ先生って、あのサイトウマサオですか?」
「ああ、そうだよ。富士高体操は俺が作ったんだ。全部」「全部ですか????!!!!!」
「そうだ。若手教員だった俺は、体操作れって先輩に命令されて、全部作った」
「つまりあの、創作サイトウマサオ、作曲望月桑太郎のサイトウマサオですか」
「もちろん、そうだ」
私が高校1年生から覚えこまされた富士高体操は、てっきり明治か大正時代の制作だと信じ込んでいた。(それくらいダサイ)。だから、斎藤正雄も望月桑太郎も、とうにこの世からいなく、どこかに色あせた肖像画があるだけだと勝手に思い込んでいた。
その斎藤正雄が、現実にその場にいる!!!!!!!
教員生活でこれほど驚いたことは他にない。
某高校勤務時代某美人女性教員の朝帰りの現場に出くわした時でも、こんなに動揺しなかった。この時見たものは実物だが、サイトウマサオはマボロシだ。
その後、斎藤正雄先生はご退職されたのだが、10数年後、ワタシが富士高校に転勤してこの情報を新聞部に流すと、堂々と新聞部が取材に出かけて、富士高関係者全員のマボロシを白日の下にさらすことになった。そして、その数年後、富士高富祭体育の部に斎藤正雄先生がサプライズで現れて、富士生が斎藤正雄先生の前で、その富士高体操を披露することになる。斎藤正雄先生は、涙を流されておられた。
今日は、下田南高校時代と沼津商業高校時代に出合った、お二人の傑物に関する話でした。
次回をお楽しみに。
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還暦老人過去を語る。
http://tommyjhon.exblog.jp/30851865/
2024-03-13T05:50:00+09:00
2024-03-13T05:50:41+09:00
2024-03-13T05:50:41+09:00
tommyjhon
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ということで、定年まであと3週間となった日々をコソコソと過ごしている。今年度は3年生しか授業がなかったので、彼らが卒業した今は何も授業がない。したがって、何となく他の教員に悪い気がするので、コソコソと隠れるような日々である。今日は、事務室でいろいろな定年に関する書類を書くことになっている。例えば、退職金の振り込み請求用紙などだ。退職金とて請求をして指定口座を登録しなければ支払われることはない。
それで、暇に任せて、23歳で静岡大学を卒業してそのまま教員となったあたりから、私の履歴を残しておこうと思う。明日もそうだが、今後“退職を祝う会”みたいなものが各地で開かれる予定である。(勝手に思っているだけで、具体化しているものは何もない。コロナ禍で、そのような催しを開く文化が消滅したことが悔しい。退職を祝う会が開かれるほどの人望がないことも要因の一つではある)
そのいざという時に、会の幹事長が困らないようにこういう媒体に記録してあれば楽だろうと思う。
教員になって2年目の正月、当時過ごしていた静岡県立下田南高校のすぐ近所に住んでいた私は、ある日の朝「学校の国旗掲揚台で半旗を揚げてくれ」と頼まれる。それまで、半旗という言葉さえ知らなかった。これが平成の始まりである。平成元年は1989年のことで、私はそこから逆算して1988年から1990年の3年間、静岡県立下田南高校の定時制の教員として働いていた。
教員採用試験に合格し、先生になると決まっていた私は、「絶対に女子高に勤務してやる!!!!!」と妄想していた。教員採用試験に合格したので、その時点で就活はやめたが、その時代はバブル真っ盛りで、3社~4社ほど内定みたいなものを頂いていた。もしかすると証券会社勤務になっていたかもしれない。「ああ、良かった」。
3月の下旬になり、いよいよ静岡県教育委員会関係者(後から、教頭先生だとわかる)から電話を受け、静岡県伊豆地域の最南端、下田南高校に内定したので面接に来てくれと言われる。なんと、下田南高校は女子高ではないか!!!!!!!!! 人間、念ずれば思いは叶うのである。すぐに友達に電話してリサーチすると、下田南高校は普通科と商業科があり、普通科だけが女子高で商業科は男子生徒もいるとのことだった。「まっ、半分女子高だから満足」と喜びながら、東海道線を熱海駅で乗り換え、東海岸を鉄路で南下して南国の匂いがする下田の街に降り立った。
下田南高校は、下田の街中にあり伊豆急下田駅から徒歩10分程度のところにある。進学校として有名で、且つ豆陽中学として明治12年からの歴史を誇る下田北高校(現、下田高校)は、蓮台寺駅という田舎にあるので、立地的には下田の中心の学校である。そこに星雲の志を抱いて一歩踏み込んだ私は、堂々と校長室に入り、少しばかり世間話をした。そして、「では、職員室に行きましょう」と誘われて向かった先は、今でいう印刷室みたいな北向きで暗くて肌寒い小さな部屋だった。普通、新任の教員が3月中に職員室に誘われることはない。スパイ小説を愛読していた私は、「職員室に行きましょう」と誘われた時点で疑問を感じるべきだったのだ。
その倉庫みたいな部屋が、定時制の職員室だったのである。
ワタシは、下田南高校の定時制の社会科の教師として採用されたのだった。もちろん、1年目は担任ではなかったが、2年目に1年生の担任となり、3年目には3年の担任となった。この当時、日本の若者の最後の急増期で、静岡県にも新設の県立高校がバンバン建てられ、私立大学の偏差値もバンバン上昇していった頃だ。ワタシが担任となった1年生は、(定時制なのに、なんと)41人も新入生がいたのだ。なんと定時制の1クラスが41人(年は41歳の方がお一人で、あとは15歳)というだけで、私の心労を理解してほしい。それからの2年間は、日々の終わりに「今日は何もなかったね」と帰れることだけが楽しみだという生活をしていた。学校での唯一楽しみは、当時、野球部監督をしていたことだけだった。この悪党どさくれ野球団は、(欽ちゃんの番組で有名な)定時制の神宮大会(甲子園)を本気で狙っていた。ただし、選手層が薄く(当たり前だ)、主力がケガをすると一気に弱小球団になってしまい、神宮の夢がかなうことはなかった。もちろん、ワタシは野球経験者ではないし、ノックもできなかった。
学校での楽しみがない代わりに、休日の楽しみはゴロゴロあった。日本一きれいな白砂の砂浜には歩いても行かれるし、当時のスーパースキーブームに乗じて、冬にはスキーばかりやっていた。海にも行けない、スキーもできない休日は、かならずどこかにドライブに行った。我が愛車は、トヨタのスカーレットKP71というスピード狂の入門車みたいな車で、そこそこの改造もしていた。
正確ではないが、↑こんな車。
ドライブや海やスキーに、飽きることなく付き合ってくれたのが今の奥さんである。当初は、ワタシと付き合うというよりは、海やスキーに付き合ってくれる人であったと思う。
今の奥さんには、妹が二人いて、この下田時代に初めてその妹たちに会った(要するに偵察)のだけれど、その妹たちは、お姉さんの彼氏(ワタシのこと)のことを早速実家に報告したらしい。後で聞いたのだが、その報告は、「良かったよ。心配しないでね。チビでデブだけどハゲではないよ」という慰めの言葉だった。
この下田南高校は、今やない。病院とその駐車場に成り代わってしまった。
でも、下田の街並みや風景は、高校がなくなった以外は今でも変わらない。ワタシ達老夫婦は、今でも必ず夏に一度は下田に出かけて行って、24~25歳ころに遊んだビーチに行くことになっている。
次回は、沼津商業時代の話ね。お楽しみに。
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還暦老人お祝いされる
http://tommyjhon.exblog.jp/30849140/
2024-03-11T05:27:00+09:00
2024-03-11T05:27:44+09:00
2024-03-11T05:27:44+09:00
tommyjhon
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ということで、高校入試業務の中、国公立大学合格者の電話とメールが次々に乱入。
今年は、一般的には一喜一憂と表現するはずが、六十一喜十一憂くらいの好成績(憂の数は不正確)
筑波大や名古屋大学にも受かり、その他の名門大学にも続々合格者が出現。模試の点数など決して“出来る学年”ではありませんでしたが、最後まで粘り強く(陳腐な表現なので使いたくはないが)、頑張ってくれました。
退職まで残り三年で今の学校に拾ってもらい、二年目からは進路課長として仕事をさせてもらい、還暦を迎えた今年は最後のご奉公として、痛い腰に鞭打って頑張ってきたよかったと思っております。「こうすれば受験はうまくいく」と考えてきた要素を一つ一つ導入しただけなのですが、ここまで上手くいくとは・・・・・
学年主任も教務主任も進路主任もやってきた中で、前述の要素で最大限に重要なのは、「(優秀な)教員団に気持ちよく仕事をしてもらえること」だと思います。
というか、自分自身にはそれしか取り柄がない。これは初めて学年主任をやった12年前の時からほとんど変わっていません。気持ちよく仕事をしてもらう秘訣は、①無駄なことはなくす、②手間のかかることは納得してもらう。③面白そうなことはすぐやる。だけです。
この令和5年度IC高校卒業生を牽引していたのが、平成4年生まれの若手教員でありまして、本当に僕の息子世代なんです。この2人には、なんとか幸せな家族生活も経験してもらいたい。
この週末、その息子夫婦と一緒に。「お父さん、とりあへず還暦おめでとう、お仕事ごくろうさんで、旅行に行こう」という企画をプレゼントされ、かわいい孫たちと遊んできた。
いきなり子育てカンガルー
いきなりレッサーパンダ
場所は、伊豆半島大室山のお隣、伊豆シャボテン公園。
高級な動物園らしい動物(トラとかキリンとか)は何もいないけど、ほぼ放し飼いなので、それなりのワクワク感がある。
ワタシの大好きなペリカンと。
孫たちが大好きなのは、顔ハメ。
お泊りは、↑のような子供たちが楽しい仕掛け満載の「あんだのおうちリゾート」
【公式】ホテル アンダのおうち 伊豆高原 (andanoouchi.jp)
子育て世代のみにターゲットを絞ったリゾートホテルであります。
ワタシ的には、伊東城ケ崎海岸は23歳ごろに、親友のアパートがあって、毎週のように遊びに行っていた場所で、とっても懐かしかったなあ。
さあ、今週は合格発表業務もあります。退職まであと3週間。
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還暦老人が有終の美を飾るか?(そして政治)
http://tommyjhon.exblog.jp/30845050/
2024-03-08T05:48:00+09:00
2024-03-08T05:48:58+09:00
2024-03-08T05:48:58+09:00
tommyjhon
未分類
ということで、今日も採点日。生徒が校舎に入れないようになってます。
したがって、卒業生(3年生)も合格連絡や後期対策でも学校に来られないのですが、現在、相当な好結果がでております。いずれ公式発表できるタイミングで卒業生の受験結果をお知らせいたしますが、国公立大学では昨日の時点ですでに昨年度合格者数に並ぶ結果となっています。私立大大学も慶応大学を除いてはほぼすべての私立大学で合格者がでています。卒業生の皆さん、本当によく頑張ってます。!(^^)! !(^^)! <m(__)m>。
そして、卒業生の皆さんには、国立大学合格であろうとも、私立大学であろうとも、専門学校であろうとも、浪人であろうとも、誰隔てなく卒業記念&進路課長退職記念グッズをお配りいたします。
来校の際は、ぜひ進路室にお立ち寄りください。
そして、現在国会の真っ最中ですが、少しだけ情報提供。
1)これだけの証拠写真がでているのに、なぜ、盛山文科大臣は辞任しないのでしょう? 旧統一教会の組織に解散命令を出すことのできる権限を持つ文部科学大臣に、その旧統一教会との密接な関係がある人物が就任しているというのは絶対におかしいでしょ。(100%の任命責任が首相にある)
2)応援するれいわ新選組の山本太郎代表の質疑。
絶対に大手メディアで取り上げられないので、紹介します。
内容は、
1995年に1月という同じ時期に、阪神淡路大震災に見舞われた。その時は、国会で「阪神淡路大震災の特別復興予算」が計上された。しかし、今回は1月1日という国会が開幕していない時期にもかかわらず、「能登半島地震の特別復興予算」が建てられず、復興対策費の支出は“予備費”から捻出されるとになっている。これはなぜか?
と、全く政府の復興に対する本気度不足を追求しています。
政府としては耳の痛いことでしょうが、この能登半島地震に対する政府&内閣の対応は、正月におきたとはいえ、かなり弛緩しています。
みなさん、気づいてください。今の政府自民党は政権担当能力がありません。現野党の連合政権の方がまだましだと思います。政権を交代させましょう。
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ワタシの根本思想(還暦老人ブログを語る)
http://tommyjhon.exblog.jp/30843685/
2024-03-07T05:40:00+09:00
2024-03-07T05:40:24+09:00
2024-03-07T05:40:24+09:00
tommyjhon
未分類
ということで、本日は採点日。
学校で缶詰めとなって一日中答案の採点をする。一昨日、昨日、今日と、先生方は定刻になると一斉に学校を追い出される。先生方が揃って仕事場から帰るのだが、この風景は極めて珍しいものである。普通、ワタシ達は仕事が終わった者から適当に帰宅しはじめ、残ってサービス残業(部活・教材・校務など)を勝手にやり、概ね仕事を与えられない老人からバツが悪そうに帰っていくようになっている。
でも、この時期だけは管理職が学校を管理するのが絶対条件になるので、管理職以上に居残りすのは許されない。
したがって、いつものように生徒と向いあうことができないので、比較的余裕がある。
余裕があるついでに、今までブログに載せていないことを告白してみる。
ワタシは、「Tommyセンセ」を名乗り、37歳の頃からネット上で日記なるものを書きづづけてきた(キーボードをたたき続てきた)。もちろん、これにはお手本がある。
山口瞳 - Wikipedia
若い者は全然知らない作家だろうが、ワタシは、山口瞳の新刊が出るたびに書店に走って行った者の一人である。当時はアマゾンなどなかった。
こんな方である。
この山口瞳(作家には敬称をつけなくていいことになっている)は、
1963年(昭和38年、ワタシが生まれた年)に 『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞している。この作品も10代の頃読んだ(変わったガキだ)
江分利(エブリ)満(マン)というのは、どこにもいる男という洒落で、山口瞳自身のことを指す。これは、徹底的な私小説の作家である。
この作風にインスパイアして、「Tommyセンセの毒舌日記」が生まれた。
そして、山口瞳は、
『週刊新潮』に31年間もの間、死ぬまで一度も穴をあけることもなく、コラムを書き続けた。これは、『男性自身』というロングセラーとしてまとめられている。
なので、Tommyセンセも、明らかに外山和之という一教員であるのだが一応、主人公がTommyセンセということで成り立たせている。
WIKI(ウィッキ)にも編集されているが、山口瞳が『男性自身シリーズ、私の根本思想』の中で、自身の戦争に関する思想を述べている。
以下は、ウィッキを編集したものである(原本を探すには時間がかかるので)
<以下抜粋>
「我が生涯の幸運は、戦争に負けたことと憲法九条に尽きると思って居る」
「人を傷つけたり殺したりすることが厭で、そのために亡びてしまった国家があったということで充分ではないか」
「もし、こういう(非武装の)国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに価しないと考える」
<終わり>
反論があるだろうが、ここに「最後に、家族だけは絶対に守る。家族を守るためになら竹槍も使う」
というフレーズを使えば、まさしくリバータリアンの思想である。
一時期、(嘘つき戦争賛美作家である)阿川弘之や、(意図的なのか無自覚のままか、知らないが、結果的に日本人を右側に傾けてしまった)司馬遼太郎なども好きになって、右翼っぽくなったこともあるが、やっぱり最後は「山口瞳流のワタシの根本思想」に落ち着ていいる。
「もし、こういう(非武装の)国を攻め滅ぼそうとする国が存在するならば、そういう世界は生きるに価しないと考える」
いい言葉だな。
ワタシなりの“日本”という国の解釈は、
東アジアの隅っこに、度重なる戦争がいやで大陸から逃げてきた人々が作った国がありました。その恵まれた技術力を生かし、大陸の文明を上手に受け入れて、(戦国時代のような)多少の内乱はあったものの、天皇制という中央集権国家を作り上げて、今まで1500年くらい反映していました。
1800年代後半から、欧米列強の日本に対する争奪戦が始まりました。日本は稲作文化を中心に人口過密な国であり、労働集約型の生産体制を使って列強との貿易関係を作り上げて一流国近くまではたどり着きました。
その後、アメリカ帝国の巧妙な罠にはめられ太平洋戦争を始めてしまい、結果的には世界で唯一の被爆国となり、アメリカ合衆国の属国になりました。
しかし、そのアメリカ帝国(合衆国)の開明派(GHQ)の手によって占領下に作られた日本国憲法は、日本を徹底的な平和国家とするように構成されており、アメリカ合衆国側から見れば、
「自分たちが日本支配のために作らせた憲法が、逆に日本支配の邪魔をしている」構造になっています。
この矛盾する支配構造の中で、むかしから手先が器用で勤勉な国民性によって、かろうじて生きながらえているのが今の日本です。
そしてTommyセンセはいつも思うのです。
こういう国を滅ぼうそうとする国が仮にあるならば(たとえそれが中国であろうと、アメリカであろうと)、そんな世界は、生きるに値しない。
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還暦老人最後まで予測を外す
http://tommyjhon.exblog.jp/30842046/
2024-03-06T05:30:00+09:00
2024-03-06T05:38:37+09:00
2024-03-06T05:30:26+09:00
tommyjhon
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ということで、静岡県高校入試「社会」の解答予想はまたもや外してしまいました。
R6_fiü””‚¬ŁñŠp_›ðfiı-”Лï.ai (sanaru-net.com)
本日は、面接。
でも、それより大切なのが、
国公立大学の合格発表集中日!!!!!
k_goukaku.pdf (keinet.ne.jp)
もう数えきれないくらいの合格発表が控えております。今のところ、順調に合格を勝ち取ってきた我がIC高校生、本日が勝負どころ。
関係者の皆様 よろしくお願いします。(もう決まっているけれどね)
そして、全く別の話題。
今、経済ニュースで「日経平均が4万円台を突破した!!!!!!!!!」というニュースを、自称「テレビキャスター」や女子アナが嬉しそうに読み上げているが、日本人の大多数にとっては何も嬉しくないのが本当の真実。
要するに、労働者から搾り取って配当金に回しているだけ。
日本の発展を見るには「設備投資」の欄が重要だけど、経常利益を配当金に回したことによって、設備投資はどんどん低下。
株価高騰は、日本経済を転落させているだけの話。
このニュースで、(何となく自分のことのように)喜んでいる貧乏人が一番バカ。
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高校入試初日
http://tommyjhon.exblog.jp/30840447/
2024-03-05T05:43:00+09:00
2024-03-05T05:43:51+09:00
2024-03-05T05:43:51+09:00
tommyjhon
未分類
ということで、本日は静岡の県立高校は一斉に入学試験。今日が学科、明日が面接&実技試験(裁量枠制度)とおこなわれる。
ワタシは、地歴公民科の教師なので、高校入試の「社会科」の試験を採点する。
静岡県下で、このブログを覗き見している激レアな受験生にこっそり教えてあげます。
社会の1番の問題、正解は「ウ」です。
2番は、「前方後円墳」
3番は、「仏教の力で、国の災いをなくそうとした」
となります。・・・・さあ、この大胆予測は・・・・・・
高校入試は、中学から送られてくる「内申書(調査書)」と「学力試験&面接」の総合評価で決まります。
001.pdf (pref.shizuoka.jp)
↑の資料は、↓からのリンク。守秘義務があるのでこれ以上言えない。
令和6年度公立高等学校入学者選抜関係発表資料(令和5年度中学校3年生)|静岡県公式ホームページ (pref.shizuoka.jp)
今日は、調査書の内申点(5段階評定)に関する話題。
中学校の成績は、例え、評価の規準が観点別の評価であろうとも、最終的に9教科とも5段階に換算されます。
最高が5、その後、4.3.2.1のなります。
問題は、「5」の評価。
中学校で評価される「5」というのは、一番最高の評価なのですが、これがとても困ることなのです。他の4とか3とかとはひと味違う数字なんですね。中学生の視点から見ると、「3」という評価は、頑張って取り組むと「4」になる可能性がある数字なんです。同じように「4」は、頑張ると5になるかもしれない。
でも、「5」だけは、その後どれだけ頑張っても絶対に「5」以上にはなれない。
もし、その教科が飛びぬけて出来る子供で、もしも中学校の評価が青天井(上が空っていう意味)ルールで採点された場合、「6」にも「7」にも「8」にもなる子供がいたとしましょう。でも、彼ら全員の評価が「5」なんです。
したがって、「5」の評価が、一番“学力の幅”が広いのです。だって、それ以上ないのですから。
よく、「オール5」といいます。国語数学理科社会英語の5教科全部5だと、5×5で、オール25です。でも、この理屈(5が一番学力幅が大きい)からすると、オール5の成績には、ピンからキリがあるのです。ギリギリのラインで「5」を獲得した生徒と、オール5の評価したできない突き抜けて出来る生徒の差は、果てしなく大きいのですね。
しかも、この評価規準に慣れてしまっている中学の先生は、中学生の時に、「5」レベルの生徒の学力差を全く気にしない。全員が「5」で、それ以上はないんです。このカラクリに気づかないことによって困ってしまうのは“親”なんです。
我が子は、「5」なのか、それとも「6」なのか、「7」なのか?
オール5の子供たちが集まる進学校がたくさんあります。静岡県では、H松北、H松西、I田南、K川西、F枝東、S岡、S水東、F高、N津東、N山とか、
したがって、これらの高校での学力差が一番大きい。
保護者の皆さん(とはいえ、このブログの読者は、大部分が高校の保護者以上なので意味ないかな?)、気が付いてください。
「トップの進学校」ほど、学力差が大きいのです。地域のできる子が集まったので同じような学力集団であると勘違いしないでください。このような進学校である場合、“同じように勉強したら同じように学力が付く”ことはありません。どんどん学力差は離れていきます。(だって、生まれつきの能力が全然違う)
それなのに、「うちの子は、出来るはずだ」と思い込んでいる保護者が、いっぱいいます。生徒さんたちは、「あいつは出来が違う」というのを4月になればすぐに実感しますからそれほど問題にならないのですが、保護者は案外理解できないのです。
「中学校の時は出来たのにねぇ・・・・・」と嘆くのはやめましょう。その子は今でも目一杯出来ているのです。周りの子供達の出来が違うのです。
似たような現象が、「子供の理科離れ」です。一昔前、子供たちが物理や化学、そして生物などの教科(科目)に興味を示さなくなったことを、大人たちが嘆いている言葉です。でもでも、これは、あまりにも科学(サイエンス、理科)が発展しすぎて、子供たち目線からどんどん理科が離れていったのです。50年前の子供は、自分の手でラジオを作ることができました。今や、ラジオという情報媒体すら存在しない(くらいな世界)。
さあ、これから高校受験に臨む生徒諸君(静岡県では、ほとんどの生徒が不合格にならないので安心してね)、自分の成績(調査書)で、「5」が付いていたら、要注意です。(もちろん、それ以上の夢もあります)
高校に入ったら、自分の「5」が、本当はどれくらいのレベルなのか?「6」それとも「7」もしかして「10」???!!!!!!を試してみましょう。
あっ、自分の学校とは全然関係ないことを書いてしまった。<m(__)m>
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還暦老人最後の卒業式
http://tommyjhon.exblog.jp/30838761/
2024-03-04T05:49:00+09:00
2024-03-04T05:49:15+09:00
2024-03-04T05:49:15+09:00
tommyjhon
未分類
なんと、卒業証書のケースが間違っていた!!!!!!! 激レア写真
ということで、3/1に、無事、最後の卒業式を終えた。これといって仕事がなく、副担任のワタシは、卒業式といっても32HRで多少お喋りをしただけだった。
<再現>
みなさん、卒業おめでとう。この卒業式は、ワタシにとっても感慨深いものでした。これが(正規の教員として)最後の卒業式になります。
みなさんとは、最初入学した時から同じ学年部でした。
そう、
前任校(S水東)で教員との人間関係に悩んでいたワタシは、経験したことのない精神的な疲労を抱え廃人寸前のような状態でした。その中、当時の校長先生に無理を言って、半ば夜逃げ同然な形(残り3年というギリギリのタイミング)で、某S水東高校を飛び出して、たどり着いた果てがこのI豆中央高校だったのです。
その腐れ切ったワタシを、みなさんは温かい態度と気持ちで迎えてくれました。そうして1年間、副担任としてみなさんと過ごし、次の年に進路課長になってしまって学年部を離れます。でも、この教員生活最後の年に、また、3年部の一員としてみなさんのお世話が出来ました。嬉しい限りです。
実は、この3年間で情勢が変わり、ワタシの世代は定年の延長が出来ることになりました。望めばもう一年、このI豆中央高校で仕事が出来ることになったのです。
でも、みなさんがいないI豆中央高校は、ワタシのI豆中央高校ではありません。あなた達が入学して私が赴任して、そこからの3年間が最後の教員生活と決めていたワタシはその誘いをスパッと断りました。みなさんと一緒にこの高校を卒業しますし、正規教員としてのキャリアを卒業します。
一緒に卒業するからには、同窓会にも呼んでください。連絡先はSNSですぐに探すことができます。その同窓会では、たくさんのベビーカーが並んでいるとうれしいです。(気分が高揚してきて、ハラスメントぽくなる)
今、大変な少子化です。30年間も経済は成長してません。みんな、我々大人たちが悪いのです。みなさんを貧乏にさせてごめんなさい。なので、正規教員を引退したならば、もっともっと「世の中をよくする」ための政治活動に励みます。みなさんがお金のたっぷりある幸せな世の中で暮らせるように、できる限りの運動をします。だからみなさんも諦めないでください。
「どうせ世の中かわるなんてことはない」と思って、投票を放棄することはしないでください。自分で考えて、世の中を変えてみてください。できますから。
<終了>
そして、卒業式には間に合いませんでしたが、みなさん(HRを超えて、今年のI豆中央高校の卒業生)には、ささやかながら合格祝いの品を準備してあります。
あと、2日早ければ間に合ったのに・・・・・・
じゃーーん
題して“Tommyセンセの缶バッジ”
それから、3月いっぱい、進路室に遊びに来てくれた卒業生には、一つをプレゼントいたします。(大切にね)
愛読していただいている先生方にも、記念品を作ってあります。(こちらも卒業式には間に合わなかった、何せ中国からの船便だから)
この段ボール全部が、この“粗品のタオル”
遠方の読者の皆様、ご希望の方は何らかの手段でご連絡を・・・・・・
(熊本からVタインのチョコを送っていただいた先生には、もちろんお届けします)
じゃあね。
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還暦老人が選ぶ卒業ソングベスト5
http://tommyjhon.exblog.jp/30834233/
2024-03-01T05:50:00+09:00
2024-03-01T05:50:33+09:00
2024-03-01T05:50:33+09:00
tommyjhon
未分類
ということで、日本全国“大谷の嫁”探しの日になりそうですが、静岡県下では、公立高校が一斉に結婚式、卒業式。
特に緊張する仕事もないので、ワタシが選ぶ卒業ソングベスト5。
第5位
(3) 卒業写真(1975年) 荒井 由実、ハイ・ファイ・セット - YouTube
ワタシは、ハイファイセットの大ファンでした。
第4位
微笑がえし キャンディーズ メモリーズ (youtube.com)
キャンディーズ自身の卒業ソングでもありました。
第3位
尾崎豊『卒業』【歌詞動画】 (youtube.com)
でも、『15の夜』の方が卒業っぽいかも?
第2位
卒業 斉藤由貴 (youtube.com)
まあ、口ずさむならこれ。
そして、潸然と輝く 第一位は !!!!!!!!
伊豆中央高校第43回期生の卒業生の皆さん、
じゃあね!!!!!!
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日本の死亡者数は156万人
http://tommyjhon.exblog.jp/30832569/
2024-02-29T05:55:00+09:00
2024-02-29T05:55:26+09:00
2024-02-29T05:55:26+09:00
tommyjhon
未分類
ということで、昨日は出生数が激減したという話題を載せた。
今回は、死亡者数が激増している件。
“多死社会” 年間死亡者 過去最多の156万人 火葬待ち12日間も | NHK | 神奈川県
この記事によると
<貼り付け>
死因ごとにみますと、
▼最も多いのは「がん」で38万5787人と全体の24%を占めていて、次いで
▼「心疾患」が23万2879人(14%)、
▼「老衰」が17万9524人(11%)などとなっていて、
▼「新型コロナ」で死亡した人は4万7635人でした。
<終了>
となっている。
相変わらずガンが多いのだが、現状の日本は“死にすぎ”である。
旧Twitterなどで集めた、画像でこの死にすぎ社会を垣間見てみる。
熊本県の年次・月ごとの死亡者数の推移。激増したのは、2022年の8月からだ。
札幌市の死亡者数の推移を見てみても、2022年8月からずっと高レベルの死亡者数である。
日本全体ではこうなる。
とにかく、2022年と2023年は、死にすぎである。
(1) 厚生労働省 超過死亡 - 検索 / X (twitter.com)
X(旧Twitter)で検索すると、恐ろしい事実がわかる。なんと、厚生労働省は、この死にすぎ社会に関して、統計も把握しておらす、国会議員殿の質問に対しても、「担当者がいないので答えられない」との回答だった。
それはそうだろう。この死にすぎ社会を作り出したのは、厚生労働省と製薬会社と政治家たちが作り出したワクチン接種が原因だからである。
日本で死亡者数が急激に2020年を上回り始めたのは、2021年の5月からである。(初めて2020年を1万人オーバーした)
そこからずっと、2020年の死亡者数をだいたい1万人以上(時には2万人を超える)月ごとの死亡者数で越えている。
そして、日本人よ、忘れないでほしい。
初回接種(1回目・2回目接種)についてのお知らせ|厚生労働省 (mhlw.go.jp)
コロナワクチンの接種が始まったのは、2021年の2月からである。
もう、この“死にすぎ社会”の原因がわかりますよね。
では、もう一度、死亡原因の内訳をみてみる。
死因ごとにみますと、
▼最も多いのは「がん」で38万5787人と全体の24%を占めていて、次いで
▼「心疾患」が23万2879人(14%)、
▼「老衰」が17万9524人(11%)などとなっていて、
▼「新型コロナ」で死亡した人は4万7635人でした。
コロナワクチンは、「新型コロナ」による死亡を減らしたかもしれないが、「がん」と「心疾患」を増やしたのだ。
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株価高騰で経済の停滞を忘れさせる(不況だから未婚化と少子化が加速する)
http://tommyjhon.exblog.jp/30830917/
2024-02-28T05:58:00+09:00
2024-02-28T06:00:25+09:00
2024-02-28T05:58:43+09:00
tommyjhon
未分類
ということで、ただ今期末テスト中。(1,2年生の授業がないワタシは比較的暇)
この1週間というもの、世の中ではずっと“株価高騰・バブル期越え”のニュースばかりが取り上げられている。したがって、文字通り景気のいい話ばかりがニュースを飾っているが、つい2週間前には、↓のように日本のGDPがドイツに抜かれて世界4位に転落したというショッキングなニュースが出たばかりだ。
日本の去年1年間の名目GDP ドイツに抜かれ世界4位に後退 | NHK | GDP
株価が高騰してはいるものの、未だ日本の景気が改善されたわけではない。日本はやっぱり30年間の不況に悩まされているままである。
世の中全体が元気ない(不況)ので、出生率もどんどん下がり、子どもも産めない。
想定より早く進む少子化、昨年の出生数は8年連続で過去最少…婚姻90年ぶりに50万組割れ : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
子育てにお金がかかるから子どもを産まないのではなく、そもそも結婚をしない。
今の若者は、愛しあえる伴侶を求め幸せな家庭生活を営もうとする意欲がないのだ。
子育て支援を少子化対策の目玉として、政府や自治体も一生懸命やっているが、究極の少子化対策は、“結婚支援”である。
そういえば、このようなニュースがあった。
岡山県が少子化対策で『同窓会補助金』に賛否の声 「ライフスタイルを考えるきっかけになってほしい」【Nスタ解説】 | TBS NEWS DIG (1ページ)
なんとなくわかる気がする。同窓会で再会して男女交際に発展することって、同窓会あるあるの一つである。
私自身、中学校の同窓会を40歳の時から5年ごとに開いてくれていて、参加していた。最初の同窓会が一番ドキドキワクワクしていた。(だってみんあ若いから)
そして、その時に再会した女性の中でも、独身の方はみなさんキレイだった。(これはコンプライアンス的に問題記載かも????)
そして、この少子化対策に世界で一番成功しているのは、ハンガリーである。
人口増加に執念、ハンガリーの「すごい」少子化対策 東アジア「深層取材ノート」(第69回)(3/4) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)
この内容は後回しにして、ハンガリーのことを言わせていただく。(書かせていいただく)
ハンガリーは、欧米の金融システムとは違う通貨システムを持っている国である。
通貨発行権とは何?ハンガリーが発行権を奪回した理由とは?│オルタナティブ投資の大学 (a-i-u.jp)
研究論文もネット上にあることはあるが、内容が難しくて、簡単に書いているブログダケを貼り付けた。
したがって、巨大銀行ネットワークで寡頭支配するEUやアメリカに気に入られることありえなく、いつもハンガリーは「ことさら悪く書かれる」のだ。
ハンガリーのオルバン首相も、日本では“独裁者”と評価されている。
例えば、
スウェーデンのNATO加盟、トルコ議会が承認 残るはハンガリーだけ - BBCニュース
なので、ハンガリーの“成功している”少子化対策であっても、日本の政府や研究者達も素直に学ぼうとしない。
「静かなる有事」少子化にハンガリーはどう向き合っているか(新潮社フォーサイト・石川雄介) – Asia Pacific Initiative アジア・パシフィック・イニシアティブ (apinitiative.org)
上のような感じの記事になる。
しかしだ。
以下に貼り付けるハンガリーの少子化(結婚対策)は凄い。
<貼り付け>
第三子出産で学生ローンは全額免除
〇結婚奨励金
2015年から、新婚カップルに対する税額控除を導入した。この措置は若いカップルの結婚を奨励するためのもので、新婚カップルは、少なくともどちらか一方が初婚であることを条件に、結婚後2年間、毎月15ユーロの税額控除を受けられる。2018年には、約8万3000人が、この制度を受けている。さらに妻が妊娠すると、妊娠91日目から給付金が出る。
また、2018年7月からは、無利子ローン制度を始めた。妻が18歳から40歳までの夫婦は、3万ユーロの無利子ローンを受けられる。このローンの月々の分割返済額は150ユーロ以下で、20年以内に返済。ただし、最初の5年間に少なくとも1人の子供が生まれた場合、無利子のままで返済が3年間猶予される。2人目の子供が生まれると、さらに3年間返済が猶予され、かつ元本の3割が帳消しにされる。そして3人目の子供が誕生すると、残りの借金は全額返済不要となる。
〇マイホーム補助金
2016年1月から始めた制度(CSOK)で、3人以上の子供がいる家庭が新築の不動産を購入する場合、3万ユーロを現金支給する。さらに4万5000ユーロ分の住宅ローンの金利を補助する。2020年7月までで、14万8105世帯が受けている。
また、中古物件を買う場合は、子供4人以上なら7500ユーロ、3人なら6000ユーロ、2人なら4000ユーロ、1人なら1600ユーロを、最大で補助する。
2018年からは、住宅ローンの減額制度も始めた。3人以上の子供を持つ家庭は、子供1人あたり3000ユーロの住宅ローン減額。2019年7月からは、2人以上の子供を持つ家庭にも同額の制度が拡大され、3人以上は計1万2000ユーロの減額となった。
〇学生ローン返済減免
大卒以上の高学歴女性の出産を促す政策。2018年1月から、大学の学費にあてる学生ローンを借りていた女性が第一子を妊娠した場合、妊娠3カ月目から3年間、返済を停止できる。第二子を妊娠した場合も同様。第二子を出産後は、学生ローン残額の5割が免除される。さらに、第三子出産後は残額全額が免除される。2020年7月までに、4810人が減免措置を受けている。
<貼り付け終わり>
ワタシは、ハンガリー規模の少子化対策はすぐにでも可能だと思う。(出来ないのは、財政均衡派が支配する理不尽な財務省が日本を不当に支配しているからである)
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メディアで報道されない真実
http://tommyjhon.exblog.jp/30829092/
2024-02-27T06:00:00+09:00
2024-02-27T06:00:11+09:00
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tommyjhon
未分類
ワタシは、X(旧Twitter)の愛用者で、且つ、
メディアが報じないワクチン薬害: 植草一秀の『知られざる真実』 (cocolog-nifty.com)
の読者である。
おそらく、他の一般人とは違う情報源を持っている。
一般に「メディアの流す情報を鵜呑みにしてはいけない」と教えられる(最近はそうでもないが)が、では、誰からの情報を信じればよいか?ということになる。植草先生のブログとメルマガは10年以上愛読していた。このブログには嘘がないし、宣伝もない。植草先生は、自民党小泉政権の裏事情を暴露して冤罪に問われた過去を持つ人だ。
この植草先生のブログから拝借。
ちなみに、コロナのパンデミックは2020年に起きた。
しかしながら、死亡者数は、2020年と2021年と2020年にの3カ年を比べると、異様なことに気づく。
なんと、2020年は死亡者数が少ない。
そして、2021年、2022年と激増。
もうすぐ2023年の統計がでる。きっと2023年も大きく死亡者数が伸びる。
この理由を説明することは、日本人に「半ば強制的に接種された例のワクチン」以外には出来ない。
これも主要メディアでは絶対に報じられないが、
コロナワクチンによる死亡認定は確実に増加していて、中には突然死も含まれている。
この被害救済制度は、自己申告なので、「突然死だから薬害とは無関係」として何もしていない方がかなりの数存在していると容易に想像できる。
そして、
令和5年の政府支出は、当初、ワクチン薬害の被害者給付に3億円の予算を計上していたのにかかわらず、
補正予算で、なんと100倍以上の397億を計上して、支出をしたのである。
ワクチン接種は、明らかに“薬害”であり、一般人の死亡リスクを高めた。
藤江@日本人、謎の大量死※コロナでは説明できない(@JINKOUZOUKA_jp)さん / X (twitter.com)
(隠されているワクチン薬害と戦っている藤江さん、X(旧TWITTER )を利用している方は、フォローして下さい。
今年度(もうすぐ高校は卒業式の季節となる)、我が校では2名の現役生が受験を病気によって諦めた!!!!!!!(昨年度も1名)
1ヶ月の間に2名の生徒の父親が亡くなったクラスがあった。
地元の警察官殿で、募集担当だった方も突然亡くなられた。
先生方の不祥事が発覚すると、各校の校長先生が一つの場所に集められて、「不祥事撲滅」の“アリバイ作り”集会をするのだが、
このタイミング(年度終わり)で、どれだけの生徒が、癌や心筋炎、髄膜炎などの(普通の高校生ではありえない病)実例があったのか?、どれだけの保護者死亡の事例があったのか、統計や事例を洗い出すべきだ。
もう一度、超過死亡のグラフ。
変だよね。
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