全国の毒舌ファンの皆様 おはようございます。
ということで、安倍晋三政権と日大アメフト部の体質はとってもよく似ている。
組織ぐるみでの「言い訳、言い逃れ」
あまりにも酷似しているので、興味深く記事を読んでいると、爆笑もののネタがあった。
日本に3つしかない危機管理学部(残り2つは加計学園の倉敷芸術科学大学、千葉科学大学)を擁する日本大学が、惚れ惚れするような危機管理能力を披露しました。
あはは、何という偶然?(あとはバザップの記事を読んでね)
そして、本題。
「中間テスト問題の披露」第2回目です。今回の中間テストの裏テーマは“議論”でした。討論とか議論とか、話し合いとか、言葉としては当たり前だが、その当たり前の行動に大きな落とし穴もあるのです。高校生のうちに、討論の本当の意義ははどういうこと?って考えて、当たり前と思われる事柄にも深い意味があるこを探って欲しいのです(なんて、カッコヨク書くが、単純に出題したくてしたくてうずうずしていた問題)
問
この議会における採決や選挙の仕組みなどを論考した本に、『多数決を疑う-社会的選択論とは何か』(坂井豊著 岩波新書)がある。その中で、次のような寓話が紹介されている。
<アビリーンのパラドックス(逆説)>
このパラドックスは、経営学者ジェリー・B・ハーヴェイ(Jerry B. Harvey)が著書『アビリーンのパラドックスと経営に関する省察』The Abilene Paradox and other Meditations on Managementで提示したものである。現象の名称は、この現象を説明する小話の中でハーヴェイが用いた町の名にちなむ。以下はその要旨である。
ある八月の暑い日、アメリカ合衆国テキサス州のある町で、ある家族が団欒していた。そのうち一人が53マイル離れたアビリーンへの旅行を提案した。誰もがその旅行を望んでいなかったにもかかわらず、皆他の家族は旅行をしたがっていると思い込み、誰もその提案に反対しなかった。道中は暑く、埃っぽく、とても快適なものではなかった。提案者を含めて誰もアビリーンへ行きたくなかったという事を皆が知ったのは、旅行が終わった後だった。
この寓話が示す教訓とは何か?説明せよ。3点
どうですか? 討論の時に黙っていることが何の得にもならない、という教訓です。これからの若者は、プレゼンが出来なかったり無口だったりすることは、仕事上も命取りなのです。
問 一般的に多数決とは、構成員の多数が賛成した決定を、全体の意思決定と見なすことである。
この多数決が成立するために、いくつか条件が成り立つ場合のみに正しい意見を導き出すことができる。この前提条件はどのようなものか、次の文章のあとに続く語句を考えて、答えよ。 各2点
① 人間は生まれながらにして自由で平等な存在で有り、且つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
② その人間による討論の結果として、原則的に、多数意見は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ という仮説が成り立つ。
③ その討論において、2つの主張は、価値の上で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ という合意が成り立っている。
④ 討論中に、お互いの主張は十分に説得され、訂正する・・・・・・・・・・・・・・・・
これは、教科書には当たり前のように、“多数決の原理”と言う語句が記載されているのにもかかわらず、多数決の原理とは何か?という原理の説明がまったくされていないことに気づき、
まさか、「多数決の原理とは、投票数が多い方を全体意見とみなす」という3歳のガキにでも判るようなことを“原理”というのではないだろう?と疑問に思い、
かつ、これも当たり前のように書かれている“少数意見の尊重”というフレーズは、いつどこでどのように尊重されるのか?も全く書かれていないことも疑問に思って、コツコツと調べたり、考えたりしてきた問題である。
すぐに模範解答を求めようとする読者の皆さん。ダメですよ、考えなければ(大声)
御察しの通り、この問題は、強行採決を繰り返そうとしている我が国の国会に対する、一高校教員のささやかな抵抗です。