政治経済の発展的学習としての安倍晋三 |
①憲法45条が衆議院の任期は4年と定め、69条がその例外としての内閣不信任案可決に対抗する衆議院解散を認めているのであるから、解散は69条の場合に限定され、7条の国事行為としての衆議院解散は、単に、解散の手続を定めているだけというのが素直な解釈である。
②1952年の第2回目の衆議院解散が、初めて69条によらず天皇の国事行為を定めた7条によって行われ、解散の違憲性が争われた苫米地訴訟では、最高裁判所は、いわゆる「統治行為論」を採用して、違憲審査を回避した。
③先進諸外国では、内閣に無制約の解散権を認めている国はほとんどなく、日本と同じ議院内閣制のドイツでも、内閣による解散は、議会で不信任案が可決された場合に限られている。法制度上は内閣に自由な解散権が認められているイギリスにおいても、2011年に「議会任期固定法」が成立し、「下院の3分の2以上の多数の賛成」が必要とされ、首相による解散権の行使が制約されている(イギリスで今年4月にメイ首相が行った下院の解散は、首相の判断はほとんど全会一致(賛成522票、反対13票)で承認された。)。
④議院内閣制の下では、「内閣」は「議会(国会)」の信任によって存立しているのであるから、自らの信任の根拠である「議会」を、内閣不信任の意思を表明していないのに解散させるのは、自らの存在基盤を失わせる行為に等しい。
⑤69条の場合以外に、憲法7条に基づく衆議院解散が認められる理由とされたのは、重大な政治的課題が新たに生じた場合や、政府・与党が基本政策を根本的に変更しようとする場合など、民意を問う特別の必要がある場合があり得るということであり、内閣による無制限の解散が認められると解されてきたわけではない。
<貼り付け終わり>
一部では、麻生副総理が、安倍首相に、「解散は首相の専権」だと言って解散を勧めたことが早期解散の決断につながったなどと報じられているが、誤解してはならないのは、解散は「内閣」の権限であって、「首相の専権」ではないということだ。「憲法7条の天皇の国事行為による解散」が許されるとしても、その「助言と承認」を行うのは「内閣」であり、「内閣総理大臣」ではない。閣僚全員による「閣議決定」があって初めて、「国事行為としての解散」を天皇に助言・承認することが可能となる。
小泉純一郎首相が、突然の解散を表明した2005年の「郵政解散」においても、解散を決定する閣議で、島村宜伸農水相、麻生太郎総務相、中川昭一経産相、村上誠一郎行政改革担当相の4閣僚が解散に反対する意見を述べ、小泉首相が個別に説得をしたが、島村農水相だけは最後まで解散詔書に関する閣議決定文書への署名を拒否して辞表を提出。小泉首相は辞表を受理せず、島村農水相を罷免、首相自身が農水相を兼務して解散詔書を閣議決定した。この郵政解散には、「国民に郵政民営化の是非を問う」という「大義」はあり、閣議での対立も、郵政民営化の是非をめぐる「政治的意見の相違」だったので、最後まで抵抗した島村農水相の罷免による強行突破が可能だった。
今回、もし、安倍首相が臨時国会冒頭の解散を強行しようとした場合、閣僚全員が賛成するとは到底思えない。特に、安倍首相ともともと距離があった河野外相、野田総務相は、このまま解散ということになれば、安倍内閣支持率回復のための「客寄せパンダ」に使われただけで、大臣としての仕事をまともに行う前に使い捨てられることになる。ましてや、その解散には全く「大義」はない。少なくとも、この二人の閣僚は、解散詔書の閣議決定に賛成するとは思えないし、説得の余地もないはずだ。
<貼り付け終わり>
この2005年の郵政解散の顛末も「政治経済」の授業では、重要なポイントです。“内閣の連帯責任”とは、このようなものであり、首相の行うことには盲目的に賛成するのが“内閣の連帯”ではないことを示すモノです。
ワタシは、生徒に新聞を読めとは絶対に言いません。その理由は、例え時事問題であっても、視点が揺らいでいたのなら、単に時勢に流されるだけであって、議論の題材を探すことが出来ないからです。新聞を読むくらいならば、しっかりしたブログを探す方がいい。
例えば、安倍首相のインド訪問のとある記事
https://mainichi.jp/articles/20170905/org/00m/010/041000c
ここでの見出しは、
日印関係 原子力協定発効で連携さらに強化
となっており、見出しだけではホントに政府の提灯記事です。
また、インドが原発の設置を急ぐ国内事情もわかりやすく記載されています。
<貼り付けはじめ>
インドが原子力協定を急いだのには深刻な国内の電力事情がある。海外電力調査会の栗林桂子研究員は「今でも約3億人が電気にアクセスできず、モディ首相は22年までにすべての国民に電気をという目標を掲げているほどだ」と話す。さらに発電量に占める石炭を主とした火力の割合が80%に上り、中国、米国に次いで温室効果ガス排出量が多く「デリーなどの北部や都市部の空気は非常に悪い状態にある」(栗林氏)。このため、原子力や再生可能エネルギーの拡大を急ぎ、14年度の原子力発電量はわずか3%だが、50年までに25%とする目標を掲げている。
<貼り付け終わり>
しかし、日本人として、この記事の中で注目すべきは、以下の部分です。
<貼り付けはじめ 太字はワタシ>
一方、過去、インドでの原子力分野の受注実績のない三菱重工業は「インドは多数の新規建設計画を有する巨大市場だが、依然として原子力損害賠償法の問題があり、引き続き今後の状況を注視していく」と慎重だ。インドの原賠法が設備・機器の供給元にも賠償責任を求めると解釈できる内容になっていることが理由という。
<貼り付け終わり>
この毎日新聞の最後の最後の方でやっと出てきた、この記事の核心部部分が、この「原子力賠償法の問題」
実は、日本の原子力賠償法は、製造者責任を全く放棄している国民無視の法律なのです。
東日本大震災とそれに続いた福島原発の事故、そしてその処理の最中で、全くニュースにならなかったのが、
この一カ所である。<貼り付け>
原子力損害賠償法(原賠法)が、原発事故の賠償責任は原子力事業者(電力会社)だけが負うとする「責任集中制度」を定めているからだ。<貼り付け終わり>
ここも、高校生が学習するものと大きく違う。
高校生は、“製造物責任(PL)”という用語をしっかり習う。
https://business.bengo4.com/category2/practice451
このPL法で重要な言葉が、無過失責任
であって、これは、“過失(うっかりしたミス)があってもなくても”と意味であり、製造者に徹底的な製造者責任を負わせている。日本で無過失責任が認められたいい例が、4大公害訴訟である。
しかし、福島の原発では、製造者責任(アメリカのGM社)が問われたことは全くない。それは、日本の原子力賠償法が、製造者責任を排除しているからだ。
もし、安倍晋三がインドとの原発協定において、日本のメーカーの製造者責任を認めたのならば、全くの矛盾をもたらすことになるのだ。
①日本の原発事故では製造者責任を認めず、アメリカのGM社に全く損害を請求しないまま、
②インドで原発事故が起きた場合は、日本のメーカーが賠償義務を負うという取り決め
になる可能性がある。
もう一度、貼り付けるが、以下の文章が相当重要であることをしっかり理解してくれるだろう。
インドでの原子力分野の受注実績のない三菱重工業は「インドは多数の新規建設計画を有する巨大市場だが、依然として原子力損害賠償法の問題があり、引き続き今後の状況を注視していく」と慎重だ。インドの原賠法が設備・機器の供給元にも賠償責任を求めると解釈できる内容になっていることが理由という。
Tommyセンセは、反アベではない、政権の誤りを指摘しているうちに、反アベになってしまったのだ。・・・・・・・・・・・衆議院選挙が公示されると、少しだけブログにも“プレスコード”がかかる。どこまで書けるのか身を賭してみるかな?