2016年 10月 05日
『崩壊するアメリカの公教育』を読む |
全国の毒舌ファンの皆さまおはようございます。Tommyセンセです。
ということで、本の紹介第2弾
著者の鈴木大裕氏は、ワタシより10歳下のアメリカで活躍する教育学者である。高校・大学とアメリカに学び、日本での中学教師からアメリカに再度渡って、教育学を研究している方だ。単なるジャーナリストでもなくちょこっと赴任しているだけの新聞記者でもない、本物の研究者であるから副題の「日本への警告」というフレーズも信用がおける。
高校の先生方でもよく本を読まれる方がいらっしゃるが、一度として同じ本を読んでいることを見たためしがない。僕が「これ読んでみて」と薦める本を「読んだよ!」とリアクションしてくる先生も出会ったためしがない。しかも、先生方は、本を読むときにブックカバーをしていられる。これは、生徒への冒涜だと思う。本を読めと薦めるならば自分が読んでいる本を自信を持ってさらけ出し紹介するべきだろ。ワタシは授業中、普通に内田樹先生を紹介し、副島隆彦先生を紹介し、ナオミクライン女史を紹介し、堤未果女史を紹介し「読め!」と薦めている。お陰で本か売れなくなるかどうかは別問題だ。この4氏を挙げているワタシを胡散臭い奴と言う奴はよほど胡散臭い。
この『崩壊するアメリカの公教育』の中に、プロダクトプレイスメントという言葉が紹介されている。経営に関する方や学んでいる学生はご存知だと思うが、こんな感じの広告手法である。
なんと、アメリカでは、全米(州かな)統一学力テストに、この手法が使われていたというのである。日本でいえば、高校入試に広告が(一見すると気づかないように)挿入されているようなものだ。アメリカでは、ここまで教育が金儲けの手段として使われているのである。
また、アメリカの教育コングロマリットである、ピアソン社を皮肉ったこんな画像も紹介されていた。
「ピアソンはいつも学んでいる」から、「ピアソンはいつも金稼ぎをしている」と皮肉ったモノだ。
ピアソン社に関していは紹介したことがあるが、膨大な英文教材を全世界に販売している多国籍企業で、英語に関しては、教材作りからテストの提供までを一貫して支配している、アメリカソフトパワー戦略の核弾頭である。我々日本人もピアソン社から提供を受けた教材で勉強し、ピアソン社から提供をうけたテストで英語力を判定されている。そうやって、全世界の非英語圏の頭脳を「英語(英語圏社会)ではこのように考え、このように行動するのよ」と洗脳している企業である。
これは、TOEIC「Test Of English International Communication」やTOEFL「Test Of English as a Foreign Language」をこの頃妙に、文科省や大学が推奨し始めたのと無関係ではない。TOEFLが流行するとTOEFL対策の教材がその数倍は売れ、教材提供ビジネスが大儲けするだけだ。
このロジック(論理)で考えると、日本最大の教育ビジネス旗艦(機関?)である、ベネッセコーポレーション(しまじろうから進研ゼミで日本の若者を支配している)社が、極めて政治的な人間であり、かつアメリカ企業経営の代理人である元マクドナルド社長の原田泳幸を社長に迎えた時期と、ベネッセがGTECと呼ばれる、英語能力の4技能検定を開発・リリースした時期と重なっていることとも関係があると想像できる。(本日はそのベネッセ社の人物と話をしうる予定があるのだが、こんなことを書いていいのだろうか? 同時に会う予定の某S台予備校や某K合塾の方々は大喜びするだろうけれど)
ちなみに、先ほどのプロダクトプレイスメントをこっそりやったのもこのピアソングループである。高校生の読者諸君!
進研模試のテストでこっそりマクドナルドのコマーシャルらしき文が発見されたらすぐに告発してほしい。
模試でよく出てくる、道案内の会話表現問題で、こんな感じの地図が出てくるかもしれない?
さてと、本当に日本の教育現場の方々には、この『崩壊するアメリカの公教育』を読んでほしい。そして、なぜアメリカの公教育が崩壊し、日本ではそれなりに公教育が今の尊敬される地位(たぶん)を留まっているのかを考えてほしい。
ワタシは、昨日一日中考えて、おそらく「国語」の問題だと思うようになった。
日本の国語教育というのは、面白いもので、表現能力も、会話能力(当たり前だけれど)もほとんど教えない。日本の国語教育の中で日本の高校生が一番苦しんでいるのは、古典と漢文である。つまり、国語教育の中で一番時間がかかり、一番重視されているのは、古典と漢文なのだ。しかし、日本文学科と日本史学科へ進むごくごく一部の高校生以外、大学へ進学して以来二度と勉強しないのが古典と漢文である。
かくいうワタシも、「なぜ古典と漢文を勉強しなければならないのか?」という高校生からの単純な答えに、「古文漢文は、日本人の素養であり教養である、日本人としての価値を高めるものだ」という曖昧な答えしか出せなかった。
実は、その国語学習(古典・漢文を含む)の本質は、精神性の学習であると結論づけられるのだろう。日本人は、古典や漢文(つまり、東洋人の古典)の学習を通じて知らず知らずのうちに日本人の精神性を学び取っているのである。悪く言えば「洗脳」なのだが、普通に言えば、「道徳教育」である。
そうして、数ある古典の教材(例えば徒然草など)や数ある漢文の教材(例えば孔子)などで、知らず知らずのうちに、「教育で金儲けをしてはいかん」「子育てはちゃんとしなければいかん」「金儲けだけが人生ではない」「勉強は金儲けにつながるわけではない」「努力が一番大事」・・・・・・などなどの日本人が世界に誇る「清き高き心」「清明心」「真心(まごころ)」などを教えてきたのだ。
国語を(古文・漢文)を日本人が全員高校生の時に、もう二度と使わないと確信しながらも、苦しみながらも、学習しているのは、日本人の清く気高い精神なのである。
真面目に書いてしまった・・・・・・真面目に書くとなぜか胡散臭く思われるのがイヤだなあ。
by tommyjhon
| 2016-10-05 05:58
| 現代社会の授業
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