離任式 |
最新のコメント
以前の記事
ファン
記事ランキング
|
2016年 03月 30日
全国の毒舌ファンの皆さま オハヨウゴザイマス Tommyセンセです。 ということで、本日は離任式。 あの有名なY木監督をはじめ、多くの先生方が退職or転勤なさる。 そして、講堂の舞台で何かをお話しする。 だいたい、「この場で何を話そうか何も考えていなかったのですが・・・・」という話はほとんど嘘である。「何を話そうか思い浮かばないので・・・・・」というのも嘘である。 各先生方は、退職ならば30数年前から、この日のくることが分かっていたはずで、「考えていなかった・・・」というのはただの怠惰だ。同様に、突然の転勤になった先生でも、概ね2週間前には、校長先生から行先を告げられているのである。2週間何も考えていなかったというのは、単なる言い訳であって、本当は「離任式で話すような素晴らしい話はできない」というのが本音だろう。 でも、よく考えてみればそれもオカシイ。今や体罰禁止の全盛期にあって、我々教員にとっては、「体でお手本を見せる」か「言葉で知らしめる」のどちらかしか手段がない。自分の身体動作で教える(ダンスなど)以外の、すべての教育的行為は「言葉」でしかありえない。我々が、教師として何らかの給料を、人様の税金からもらって生活しているのだから、それはそれなりの年収に見合った「語り」なるものができなければならない。 教員というものは、とりあへず『教科書』というのがあって、その教科書に書かれていることを教えろ!と指導されている。なぜだ? 教科書が基本だからか? 教科書に書かれていることが素晴らしいからか? 教科書に書かれていることができれば社会で一人前として扱われるからか? 教科書に書かれていることが試験にでるからか? ふっと冷静になって考えてみると、どれもこれも「教科書に書かれていることを教える」という行為の理由になっていない気がする。 逆の発想で見てみると、「教科書に書かれていることを以外を教えてはいけない」となる。国家のやり方を観察すれば、むしろこの方が正しい教えのようにも見える。 「へんな大人に騙されてはいけないよ、君たち子供は、この程度の知識を素直に覚えていればいいんだよ・・・・」 「あとはオジサンたちが上手に生かせてあげるからネ」 「子供は余分なことを考えてはいけないよ・・・・・・それは危険な思想だからね・・・・・」 「あんまり深く考えると、世の中を変革しようとして革命なんかしちゃうからね・・・・子供は考えない方がいいよ」 と言われながら大きくは狡猾な大人ども(象徴的なのが官僚)に騙されるスタートラインが『教科書』にも思えてくる。 「みかんが5個、りんごが3個あります。合わせて何個でしょうか?」 という問題がある。 我々は、8個という答えを正しいものとして、大人から洗脳されてきた。 すこしマセた子(この言葉は今も生き残っているのか?)ならば、 「先生、みかんはみかん、りんごはりんごです。合わせることはできません」と言うだろうが、算数の授業では徹底的に潰されるに違いない。 「ハイ正解です、これは実在論の話で、果物という言葉は存在するのか否かという哲学的な話になります。ギリシア哲学にさかのぼりましょう。・・・・・」と切り返すことのできる先生は、もはや日本に生存していない。(佐藤優氏の本と藤原洋子さんの本の中には書いてあった、少なくとも2人はそう答えてくれる) というわけで、「教科書」というのは、これとこれとこれを教えなさい、というポジティヴリストではなく、これとこれとこれ以外は教えてはいけない、というネガティヴリストのように考えられてくる。要するに、国民を大きく統制するために使うものとも考えられる。 ならば、そこにある一人の“教師”たるものが存在するならば、子供達・若者達を、“教え導くための人間”というものが存在するのならば、教科書を乗り越え、授業を乗り越え、着飾ったものをすべて脱ぎ捨てた時に、何を教えるのか? ここにこそ、「教科書という国家統制」を乗り越えた人間が登場するのである。 今日の離任式の話に期待している。 では、お前は何をしゃべったのか? えっ、ワタシが前の高校を離任したのは3年前でした。ワタシの母校でもあり、12年間お世話になった高校でもありましたので、人一倍愛着があり、とても言葉で語りきれるものではありませんでした。 そこで、転勤しそうな年の夏に、誰からも知れずに、こっそりと、学校の校庭に、桃の木と栗の木と柿の木を植えておりました。すべての木から8年後には、実がなります。君たちの子供たちが、某F高に入学するときには、3つの木には大きな果実がたわわに実ります。ぜひ、一緒に収穫に来てください。君たちの孫が某F高に入学するときにも、3つの木は果実を実らせ続けているはずです。必ず一緒に来てください。待ってます・・・ ということを話しました。 教師たるもの、離任式の話しは、半年前から考えておくものなのですよ。
by tommyjhon
| 2016-03-30 06:09
| 現代社会の授業
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||