朝「倫理」をブログ上で再現 |
ということで、遅ればせながらブログランキングなるパーツを貼り付けました。今後、読者の皆様、クリックをお願いします。(どれくらいのランキングなのか楽しみーーーーーっ)
では本題(高校教育のブログランキングなんで、高校の先生らしく書く)。
本日は朝倫理の日です。なんやかんやで、日本の仏教までたどり着きました。
ギリシア哲学→キリスト教→イスラム教→仏教→中国古代思想(孔子・孟子)→日本の思想です。
日本は、憲法その他で信教の自由を規定しており、公務員による宗教教育を禁じています。これは大多数のものが納得するところではありますが、「宗教研究」や「宗教に関する理解」までは禁止しておりません。ところが、これが何者かに遠慮しているかのごとくに甘い。基本的には何も理解できないようになってます。
日本の教育課程では、主に「世界史」と「日本史」でホントに薄っぺらく勉強します。
例えば、世界史では“三位一体説”という言葉を学習しますが、それが何であり、どういうことであり、どういう影響があった、というような深い理解はさせてくれません。せいぜい、三位一体説がカトリックの教義となり、その他は異端とされた。くらいでしょう。
でもね、明らかに三位一体説は間違っています。
「父なる神・子なる神・聖霊なる神の三つの位格が、それぞれ独立性を持ちながらも、実体としては一つである」という教義でありますが、まあ、本当のキリスト教に関する解釈では、“位格”というのは何か?なるのでしょうが、そんな固いこと言わずとも、明らかにイエスは人間であって神ではありません。
だからこそ、神と人間を明確に区別したイスラム教と、血で血を争う対決をしたのでしょう。(歴史を読めば理解できます)
しかし、三位一体説が明らかに違うのだ、と日本人が言うのも恥ずかしいのです。
日本人は、自分たちが信仰している(ようにとらえている)仏教も明らかにおかしい。笑っちゃいます。
元々、お釈迦様は単なる“イイ人”だったのです。自分の立場に関して苦しみ、人間の生き方に対して苦しみ、そして、最後にやっと涅槃寂静の境地を悟りました。それだけの人です。
ところが、それが1000年くらい経つと、明らかにお釈迦様はどこかに消えてなくなってしまいます。お釈迦様は、「論争はいけない」と教えました。それは、執着こそが、涅槃寂静に至るまでの一番の邪魔者だからです。執着するものはすべてダメです。したがって“愛”もダメ。わかりますが、仏教の世界では愛はだめなのです。正しいのは慈悲の心なのです。
しかし、その後の坊さん達は、「自分のところの教義こそが正しいのだ!」と執着し始めます。アハハ。
そして、知らないままにお釈迦様より、阿弥陀様の方が重要なのだという教えを広めます。
阿弥陀(如来)様というのは西方浄土におられる「アミーダ」のことです。そして、西方の反対側には東方浄土というのがあるらしく、そこにいるのが薬師(如来)様です。そして日本は、なんとお釈迦様が悟ったことなどすっかり忘れ“南無阿弥陀仏”という念仏に執着します。
なんとなく、三位一体説によって、神と同じに祭り上げられた“苦悩する人間であった”イエスと、仏教の教義によって忘れさわれた仏陀(お釈迦様)は同じ境遇にいるような感じです。
そして、イエスが神となり、お釈迦様がアンチャタブルな存在となった後に、ぱっかりと空白が出来て、その人間と神、人間とお釈迦様の間の空白を、がっちり奪い取ったのが、「キリスト教団」であり、「仏教教団」であるのです。
最終的には、イエスもお釈迦様も、「教団のエゴ(利己主義)」に乗っ取られたのですな。・・・・・こういう考えを発見したのがニーチェ。
こうやって、書くとやはり「倫理」という教科は重要だと思う。
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「一国の指導者とあろうものが、侵略戦争へ打って出るなどの事は現在ではありへません」とおっしゃるのなら、安倍晋三首相を「ヒットラー」呼ばわりして、安保法案に反対する連中をこそ批判するべきではないですか? 日本の現在の安保外交政策を、すぐに歴史認識を持ち出して絡んでくる韓国を批判するべきではないですか?
おっしゃることは解りますが、中国が南シナ海のおいてしていることは間違いなく「侵略」です。東シナ海において尖閣諸島が侵略されていないのは日米安保があるからです。私は反中・
嫌韓ですが、「簡単に」そうなったのではありません。
私の申し上げたいのは、現憲法で対応できない現実があるのに、現実を全く論議せず、憲法を守れと言っている連中の非現実性をどう思われるか、ということです。
「東アジアに戦争を起こさせないこと」簡単です。日米安保であり、究極的には日本の核武装です。それ以外の現実的な方法があれば、御教示ください、
私も何も変える必要はないと思います。普天間基地も半永久的にあそこにあればいいわけですね。
中国がおのれの好きなように国境やルールを変えようとしているときに、こちらは何も変える必要がないとは。
私は安倍信者ではありませんが、「詰んだ」という表現が癇に障り始めてコメントしました。これでおしまいにします。
ありがとうございました。