聖徳太子の怨霊に敗れた橋下大阪市長 |
ただ今、日本史では7世紀あたりを講義中。登場する人物は、ご存じ“聖徳太子”や蘇我馬子 蘇我蝦夷 蘇我入鹿 の辺りです。
ちょうどいいタイミングで橋下大阪市長の提案する「大阪都構想」の住民投票が行われ僅差で否決されました。おそらくこれは憲法17条を記した聖徳太子の怨霊のなせる技でしょう。何せ憲法17条の第1条は
「一に曰わく、和を以って貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ。人みな党あり、また達れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父に順わず、また隣里に違う。しかれども、上和ぎ下睦びて、事を論うに諧うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」
となっております。口語訳は
「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。」
http://www.geocities.jp/tetchan_99_99/international/17_kenpou.htm
であります。
例え、橋下市長の構想が正しかったとしても、日本では「喧嘩」で物事を決めることは出来ません。話し合いこそが大切なのです。
おそらく、憲法17条の第一条は、太子が創作したものではなく、昔からの日本の言い伝えを、新しい国家を創造するための根本である17条憲法の最初に記したのだと思います。どんなに正しい“正論”だとしても真っ向の論陣を張って反対者側をねじ伏せるような結論の出し方は日本に相応しくないのです。
だから、日本では改革は遅々として進みません。和が大切ですから。それは、民主主義風の世の中になっても、欧米風の議会政治になっても同じです。
この十数年、日本は独裁者風の人物によって政治が行われています。小泉、安倍、そして橋下・・・・そういえば、石原慎太郎という害人もいました。そして日本はろくな道を歩んでいません。
みんな、聖徳太子の怨霊にやられたからです。大きく人を裏切ると日本は天変地異が起きます。
1995年 日本社会党は、突然自民党に寝返って「自社さ連合政権」を誕生させました。すると、阪神淡路大震災が起きたのです。
2011年 民主党は、鳩山小沢政権を潰しました。そして菅直人という裏切り者を首相にしつらえた途端に、東日本大震災に見舞われました。
今の世界は、「科学的思考」のパラダイムにいますから、こんなことを言うと奇人変人扱いされます。しかし、日本の歴史では、こういう震災はすべて怨霊のなせる技と見なされます。もし、日本で大阪都構想が実現し、その勢いで橋下と安倍がタッグを組み、憲法改正にでも突き進むのなら、おそらく富士山が大爆発してまたもや大災害をこの国にもたらしたでしょう。(と古代人は考えるわけです)
「和をもって貴しなし」はそれほど凄いことなのです。
ところが、この聖徳太子は、現在の教科書では「厩戸王」と記載されています。これは、「聖徳太子」という名称が当時のものではなく、のちの太子信仰からでたものであるという史実に即しています。ならば、なぜ、太子信仰が生まれたのかを書く必要があります。
厩戸王は、皇太子の地位(正式ではないが)にありながらも天皇にはなれませんでした。また、息子の山背大兄王は、蘇我入鹿によって無念で且つ凄惨な死を迎えます(しかも法隆寺で)。
聖徳太子は偉人ではあるものも本当に不幸な一族なのです。だからこそ、世の中に異変が起きる度に、法隆寺には時の藤原氏一族(天皇一族)から何度も寄進が行われどんどん寺が大きくなっていくのです。この事実こそが、「厩戸王」ではなく、「聖徳太子(天皇ではない人物への諱としては最大級の名前、聖であり徳のある人物)」として信仰されるわけです。
また、太子を大きく裏切った蘇我一族には、もっと強烈なしっぺ返しを与えます。蘇我一族は大化の改新で滅ぼされますが、蘇我一族の最後の世代は、馬子→蝦夷→入鹿と日本書紀に記されます。 馬で、その次が「蝦夷」(えぞ、野蛮人の意味)で馬子の孫は何と「入鹿」です。二人そろって“馬鹿”ですよ。こんな名前をつけられて日本の歴史から抹殺されるのです。そして、その代わりに異常なほどの太子信仰が生まれるのです。
聖徳太子の存在意義とはこのようなものです。太子の時代から約1500年も経ちますが、日本人の根本思考は変化していません。日本は17条の精神で、お役人達が知恵を絞りながら和を尊びながら政治をしていかないと上手くいかないのです。
だから、ワタシは、この意味で、憲法改正に大反対です。
こういう大きな仕組みを、対立軸を残しながら決戦投票(国民投票)するなどという政治手法は日本になじまないのです。もしやったら、それこそ阪神大震災や東日本大地震を越えるような、大地殻変動が起きてしまいます。
では、日本の憲法はどのうな形で改正されるのでしょうか?
それは、もう一度戦争に負け、日本の国体(国の政治体制)が機能不全になり、生き残った有識者たちが「憲法制定のためだけの国民会議」などを作り上げて、その案を、形だけの形骸化した国会が発議し、国民投票にかけて、ほぼ全員一致の形で新憲法が生まれる場合だけでしょう。
(憲法を構造的に良く読むと、こういう形を想定していることがわかります)
少しばかり支離滅裂な感じですか? ワタシは真剣に書いたつもりですが・・・・・