高校の授業 |
さあ、月曜日。今週もだらだらと乗り切りましょう!!!!!
ということで、本日は月曜日にふさわしい高校の授業のお話。
昨年度まで、某F高校という進学校で12年間勤務していた。本年度からは、名門某SE高校で教えている。まあ、両校とも、静岡県屈指の進学校である。どれくらいの進学校かといのは、なかなか基準がなくて難しい答になるが、『週刊ダイヤモンド』というビジネス誌に大学合格力ランキングという企画があって、だいたい6月頃に前年の実績をもとに発表されるものがある。 某F高は今年6の発表で56位、某SE高校は175位である。
まあ、そのランキングだけを見ると、F高とSEには大きな差が見えるが、分母を理解するとそれほど変化がないことがわかる。日本には5000校もの高校が存在するのである。その内の上位200校ならば、全体の5%以内に位置する高校になる。
この数字は、近年初めて知ったのだけれれど、もの凄いものだ。以来、ワタシは、生徒を「頭が悪い」とか「出来ない」などと単純には口に出来なくなった。皆さん、こそが将来の日本を背負うとても素晴らしい人材なのである。
ところが、生徒の中には、その素晴らしい頭脳を、上手に使うことなく苦しんでいる面々がかなりの数存在する。それは、某F高でも某SE高でも同じコトだ。
その理由の一つに、「どうやら高校の授業コンセプトを理解していない」という面があることを、これも数年前に感じた。
この高校における授業コンセプトなるものに乗り遅れると大変なことになるのだよ。そして、このコトを父母を含めて一般的に認識できていない。その良い例が、「高校の授業はつまらない、特に英語などは、「授業中に教科書の訳を言っているだけだし、宿題の答え合わせをしているだけ」という批判である。
しかしながら、高校の場合、授業をおもしろくすれば良いモノではない。それが、「英語」という授業のコンセプトなのだ。実は、英語の授業は、今日の授業と明日の授業の間の時間の中で、どのように英語の勉強をやるかをコントロールしているのである。
日本語というのは、世界有数の「英語と相性の悪い言語」だと思う。それを曲がりなりにも英語で解釈出来るようになるのは相当の努力が必要である。特に、大学入試問題で出題される文章は、英語圏であっても“高校以上”のレベルだ。したがって、英語を、英語の授業だけで身につけることは100%不可能である。英語を身につけたければ、英語の費やす時間を増やさなければもうしようもない。したがって、「高校の英語」の授業は、「授業以外でどのように英語を勉強するか?」が最大のコンセプトであるから、それが、答え合わせになっったり、訳だけになったりすることもあるのである。
もちろん、このコンセプトは「古典」にも「数学」にもあてはまる。「数学」は完全な積み重ねの学問であって、ワタシが教えている「公民」や「歴史」と違い、“前回までのことが理解できなければ全く次がわからない”教科である。
学校の授業の中で、“生徒が楽しい”と評価していくれる授業は、“その時、その時でゼロから始まり、授業が終わったら理解できたと実感する授業”なのである。これは当たり前だ。ただし、そのような授業ばかりでは、「学習コントロール」は出来ない。高校の主要教科の大きな授業コンセプトは「学習コントロール」なのである。
それが、中学までの授業と大きな違いだ。(もちろん、お互いに関連しているものだから、配分が違うのだが)。
ところが、生徒が案外それを理解しておらず、「授業で、勉強する」などと考え違いをすると、どんどんややこしくなり、置き去りにされてしまう。
だがしかし、このような考え方で乗り切れるのも、5000校のうちの上位200校だからである。5000校すべてを対象にしている文科省などでは、あからさまに発言できないことなのでしょう
たまたま、ブログを見た中学生諸君(ほとんどいないと思うが)、はっきり「授業コンセプト」を理解して、進学してきてね。